2014年10月8日水曜日

アル・ゴア氏の講演

先日、米国の元副大統領アル・ゴア氏の講演を聞く機会がありました。ゴア氏は2007年にノーベル平和賞も受賞しています。受賞理由は、「人間の活動によって引き起こされる気候変動の問題を知らしめ、対応策の土台を築いた」というものです。周知の通り、「不都合な真実」と題した映画を作り、また同名の本を出版して、地球温暖化がもたらす深刻な環境悪化の問題を世界に知らしめる活動に注力している人物です。現在までにこのテーマで行った講演活動の回数は1000回以上にもなるそうです。

彼の話を聞きながら、それこそ、数十億年も続き、人類が誕生してからでも数十万年も続いてきた地球の生態系が、直近の数十年、特にここ最近の20年~30年程度の間にどれだけ急激に悪化したか、ということについての危機意識を新たにしました。地球温暖化は確実に進み、北極と南極の氷河はどんどんその面積を縮小しつつあり、いたるところで海面が上昇し、異常気象が頻発しています。デング熱を始め、熱帯の病気が北上を続け、また、先日は、世界で4番目の大きさといわれていた中央アジアの内陸湖であるアラル海がほぼ消滅した、というニュースも耳にしました。

ゴア氏は、地球温暖化は急速に進行中であり、それが人為的であること、そして人類が生き延びるためには、温暖化問題に世界全体が協力して取り組まなければならない、ということを巧みな話術で熱弁しました。彼の映画はイギリスで上映差し止めの訴訟沙汰になったり、また彼自身が温暖化利権で環境長者になった、ということでネガティブなキャンペーンもありますが、彼のように世界的に影響力のある人物が、この問題に長期にわたって精力的に取り組み、さまざまな活動を続けていることには素直に感銘を受けました。また、同時に、今からでも我々一人一人が地球を守る為の意識をさらに高めて行かねばならないという思いを新たにしました。

ゴア氏といえば、思い出すのはクリントン大統領と一緒に情報スーパーハイウェイ構想を打ち立てたことです。1993年頃ですから、まだインターネット前夜でしたが、放送と通信の融合など、情報インフラ整備の積極的な政策を打ち出して一気にネットワーク時代の到来を招き、後のグーグルの登場にも繋がりました。情報スーパーハイウェイ当時、私はソニーで関連のプロジェクトに携わっていたので感慨深いものもありました。

2000年の大統領選では、ジョージ・W・ブッシュと最後まで激戦を繰り広げて僅差で落選しましたが、歴史に「もし」はないものの、「もしも」彼が勝利していたら、その後の9.11やイラク戦争もどうなっていたかわかりませんし、世界はまた違った姿になっていたかもしれない、などといういらぬことも妄想してしまいました。。。

2014年10月6日月曜日

ソニーはどこで間違えたのか

すっかりおなじみの光景となったソニーの業績下方修正。そのたびにメディア各社からの問い合わせが入る。いったい、ソニーはどうなってしまったのかと。私がソニーを辞めたのは〇六年三月のことであるから、既に九年近い歳月が流れた。ソニー時代最後の数年間の思い出はいまだにほろ苦く、当時の記憶は完全に封印したくもある。

巷ではさまざまな評論家達がソニー凋落の理由を取沙汰する。中には、直接取材もせず裏もとらない憶測と偏見に満ちたいい加減なものも散見される。しかし、ただ一つ言えることは、ソニーの凋落を誰よりも無念に思っているのは、ソニーを心から愛し、ソニーに人生を捧げ、ソニーの一員であることを誇りに思って力尽きるまで闘い抜いた戦士達なのではないだろうか。そしてその多くがそれぞれの闘いに敗れ、評論家や傍観者達には決してわからない思いを胸に残しながら、ソニーを去った。

私は、ソニーを辞めるとき、遠からずこのような凋落の日が来るであろうことを予測した。既に当時から、ソニーは持てるエネルギーの大半を外向きよりも内向きに使って、自らを消耗させるような陰湿な体質の会社に変容しつつあったからだ。内部抗争や保身にうつつを抜かすような連中が急激に異常繁殖し始めていた。盛田昭夫さんは「ネアカ」という言葉を好んで使っていたが、まさに「陽」から「陰」への体質転換が急速に進んでいたのだ。

以前のソニーには、好奇心旺盛で負けず嫌いな目をキラキラさせた少年達が集まっているような無邪気なところがあった。それを井深大さん、盛田さんという二人の偉大な創業者を始め、世界のソニーを創り上げた珠玉のような重鎮達が見守り、育て、世界に羽ばたかせてくれた。とんでもない跳ねっ返りエンジニアのぶっ飛んだ商品アイデアの話に嬉しそうに耳を傾け、時には一緒に悩み、時には見て見ないフリを決め込み、たとえ失敗しても、上手に闇に葬ってなかったことにしてくれるようなおおらかで懐の深い上司がそこかしこにいたものだ。文字通り「自由闊達」な雰囲気に満ちた光り輝く宝石のような会社だったのだ。

「ソニー神話」という言葉もあったが、全盛期のソニーは、モルモットとも呼ばれ、トランジスタ・ラジオや、トリニトロン・テレビを始め、時代の最先端を行く家電を次々と生み出していた。パーソナル家電という分野もソニーが創造した市場であり、パーソナルオーディオの先駆けとなったウォークマンや、パーソナルゲームの流れを作ったPSPなど、現在のスマホにも繋がる系譜を生み出した。また、犬型ロボットAIBOや、人型ロボットQRIOなどを誕生させた会社でもある。「人のやらないことを真っ先にやる」を信条とし、グーグルなどが登場する時代を圧倒的に先んじて最先端の分野に取り組んでいた。

そんなソニーの異変を初めて強く意識したのは、〇二年頃、「コクーン」というマシンを作った時のことである。Linuxを用いたコンピュータとしての家電であり次世代テレビを意識したマシンで、ハードウェアだけでなく、インターネットとの連携を重視して専用のポータルも同時に開発した。基本コンセプトは「成長する家電」。顧客が購入して使い始めると、その好みを学習しながら機能をカスタマイズしていく、という当時としては画期的なマシンであった。ネットを通じて常にファームウェアを最新のものに自動更新する機能も備えていた。しかし、当時の経営幹部の中でこのマシンの真の意味を正しく理解できる人はほとんどいなかった。明らかに触ってみたことすらない連中から的外れな批判をされることもあった。あれだけ新しいものが好きで、好奇心旺盛だったソニーの根幹に異変が起きつつあるように感じた。

決定的だったのは、コクーンに続いて、〇三年に「スゴ録」という家庭用録画機を作った時のことだ。当時、国内マーケットでは、先行したパナソニックの「ディーガ」のシェアが圧倒的だった。カンパニーから工場、営業まで一丸となり巻き返しに躍起だったさなか、あろうことか、同じソニーグループから「PSX」という対抗馬をぶつけられたのだ。市場ではスゴ録の圧勝だったにもかかわらず、何故か私はカンパニープレジデントを解任された。この時、当時の上司だった上席常務からは「ソニーだから出せば売れるんだ」と言われた。既に劣化し始めていたソニーブランドの威信を取り戻すために共に必死で闘った仲間達の顔が浮かび悔しくてならなかった。ソニーブランドの価値にただぶら下がって食いつぶしているだけの怠慢で傲慢な発言だと思った。

そして、私がソニーを去る直接のきっかけとなったのが、ウォークマン巻き返しのコネクトカンパニーを引き受けたことだ。最初からほとんど勝ち目のないプロジェクトを引き受けるのは無謀で、硫黄島に送り込まれる青年将校のような悲痛な思いであったが、まだ今ならぎりぎり何とかなるかもしれないと一縷ののぞみに賭けた。しかし、当時の副社長の一人から、「アップルに頭を下げてiTunesを使わせてくれ、と言えばすむ話だろ」と言われたことは忘れられない。社運を賭けて懸命にアップル対抗をやっているそのさなかに、まさに信じられない発言であった。コネクトカンパニーは発足から一年余りで解体となり、私は文字通り敗軍の将となってソニーを去った。

ワークステーションや、ロボットなど、多大な貢献をされた天外伺朗氏が、後年、ソニーの「燃える集団」が、次々と奇跡を起こした秘密を「フロー理論」で説明しているが、運をも味方にしてしまうような数々の奇蹟は、井深さんのような技術者による、指示も命令もしない「徳」でおさめる「長老型マネジメント」の功績であるとしている。しかし、その後のソニーは、ロボットという次世代産業をゼロから築き上げるような壮大なチャレンジですら、「儲からない」という理由で惜しげもなくつぶしてしまい、天外氏もソニーを去った。

ソニーが復活するためには、まず、今の内向き体質や無責任体質を一掃することが急務だろう。社員に夢をもたせ、楽しんで困難にチャレンジする燃える集団を創り上げて難局を打破するのが経営の責務である。業績悪化のたびにその責任を現場社員に転嫁し、リストラばかり繰り返すうちに、すっかり「陰」の暗い体質が染みついて取り返しがつかない状態になりつつある。 

そして、脇道に逃げないことだ。課題に正面から向き合わずに会社の建て直しが叶うはずもない。既にVAIOは売却し、テレビも分社化した。失われた時間や人材や資産を取り戻すことはできないし選択肢も限られている。

「海賊とよばれた男」出光佐三氏は、戦後、出光興産の再興にあたって一人の社員のクビも切らず、玉音放送の直後に「愚痴を止めよ」というメッセージを発信した。「戦争に負けたからといって、大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び起ち上がる」と述べ、「ただちに建設にかかれ」の号令と共に艱難辛苦をものともせずに出光興産を復活させた。今のソニーに欠けているのはこのような強烈なリーダーシップであろう。

愚痴や言い訳やリストラはもういい。日本人が創業して世界企業に育て上げた誇りを再び取り戻すのだ。そして、困難な道に自ら飛び込む志の高いサムライ達を再結集し、自分達をどこまでも信じて脇目も振らずに全力で身を挺して再建にあたる。そうすれば不可能なことなど何一つない。そう信じている。

*本稿は文藝春秋社の週刊文春10月2日号(9月25日発売)掲載記事の転載です。

2014年10月4日土曜日

朝日新聞の件で思うこと

少し前、朝日新聞の問題が大きな騒ぎとなりましたが、細かい論評はここでは避けるとして、従軍慰安婦問題では、信憑性のない証言をもとに、日本軍による強制連行があった、と誤報道し、それも一つの大きなきっかけとなって、我が国が国際的に大きな誤解を受ける結果となりました。その上、その事実誤認を認めるのに32年もの歳月が掛かり、明確な謝罪もしていません。福島原発の吉田調書の曲解報道もひどいものでした。9月11日の木村伊量社長の会見は、その会見そのものが自社や自分の保身を目的としたものであったことが透けて見えるような内容に終始し、この報道機関の体質をより一層はっきりと世間に晒してしまいました。

結局、自分の耳に痛いことや厳しいことを言ってくれる人を大事にできるかどうかがその人や組織の器量を決めるものだと思います。池上彰さんのコラム掲載拒否の一件がわかりやすかったですが、朝日は、自分達に都合の悪いことを握り潰すような体質がすっかり染みついていたという印象も世間に与えてしまいました。公正さが信条の報道機関の資質はもはや失われてしまったのでしょうか。欧米のメディアでは、社説と異なる外部有識者の意見をOp-ed(Opposite editorial)と称して積極的に掲載しバランスを保つ努力をしています。池上さんのコラムもまさにそのような役割を果たすためのものであったと思いますし、それを普通に掲載していればまだ救われたと思いますので、本件の対応を誤ったことも残念でした。

しかし、今回のような話は、果たして朝日新聞だけの問題でしょうか?決してそんなことはなく、ごく日常的な光景でもあると思います。人間というのは実に弱く愚かなもので、すぐに勘違いして傲慢になったり、尊大になったりして、外部の批判に激高したり、内部の諫言を退けたりするものです。これをまさに他山の石として、いま朝日新聞のバッシングに躍起になっている競合メディアや、その他一般の人達も、普段の自分の態度を振り返るきっかけにするのがいいのではないでしょうか。耳の痛いことを直言してくれる人、厳しく批判してくれる人、普段の立ち居振る舞いにこまごまと注意をしてくれる人、そういう人に対して怒ったり、煩わしく思ったりするのではなく、かけがえのない人として、謙虚に耳を傾け、心から感謝しているかどうか、ということを。

結局、組織の凋落というものも、人の傲慢さに端を発するものだと思います。日本にはいいことわざがたくさんあります。「おごれる人も久しからず」、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」、「勝って兜の緒を締めよ」等々。昔、ソニーの盛田昭夫さんは、世の中が好景気で、会社も絶好調の時に、真っ先に「荒天準備」と言っていました。海軍や船乗りの言葉で、「嵐に備えよ」ということですが、好景気や、会社の好業績に浮かれることなく、常に自ら気を引き締めていたのだと思います。

今のソニーの状況や、朝日新聞の状況は、どこかに共通点があるのかもしれません。

(*講談社の現代ビジネスブレイブのメルマガに寄稿したものの転載です)