2014年2月28日金曜日

先人が切り開いたソニー・スピリットの復活を心から祈る――ソニーの病巣の深さを改めて考えた

2月24日に講談社の現代ビジネスブレイブのメルマガに寄稿したものの転載です

■ Face it、逃げず、正面から向き合うということ
個人名が公になっている人は、ネットなどで突然思わぬ攻撃を受けることがあると思うが、私もツイッターなどで、「これはいくらなんでもひどい」と感じる一方的な攻撃を受けることがある。先日も、見ず知らずの人からツイッター上で個人攻撃を受けたことに端を発して、プチ炎上に巻き込まれたので、今回はその経験から感じたことをまとめておきたいと思う。それは、今や凋落企業の代名詞のようになってしまったわが古巣でもあるソニーに関わる話だ。折しも、『週刊現代』や、この『現代ビジネス』でも特集記事が出ているので(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38460)、それと合わせて読んでいただくと洞察も深まると思う。

■ 実名を言わない匿名者は最初から逃げている

別に今に始まったことではないが、この手の一方的な攻撃は、たいがい的外れなことが多く、大抵の場合は黙殺するのだが、たまにこちらも虫の居所が悪い時など、あえて乱暴な言葉を使って反撃を試みることがある。相手の出方や周囲の反応を見るためだ。そうすると、今度はまた寄ってたかって「聖人君子」や「正義の味方」が続々と登場してきて、さらにさまざまな攻撃に晒され、いわゆる炎上といったことになることも多い。それでこちらもバカバカしくなって離脱すると、今度は「逃げた」とかなんだとか、散々な罵詈雑言を浴びせ掛けられる。

「逃げた」と言われても、こちらは、もともと公人として実名で発言し行動しているわけだから、どこに逃げも隠れもしようがないし、そもそも、このようにネットでありったけの罵詈雑言を浴びせ掛けてくる人たちはそのほとんどが匿名で、この人たちこそ最初から逃げ隠れしているのだから、その言い分にはそれこそ笑ってしまう。

この連中は一度絡んでくるとどこまでも執拗なことが多く、一方的で自分勝手な思い込みに基づいた解釈でいかにも正論のようなもっともらしい理屈をこねくり回して相手を攻め続ける。そして言うだけ言って気が済むと、今度はご丁寧に一連のやり取りのまとめサイトをあたかも自分達の勝利宣言のごとく作り上げ、意気揚々としている。繰り返しになるが、このようなことをする人たちには匿名が多い。

■ ツイッターは匿名を保証したコミュニケーション手段ではない
今回も、このパターンで攻防が始まった。最初に絡んできた匿名者に一応名乗るように言ってみたが当然名乗るはずもない。匿名をいいことに周囲も巻き込んで言いたい放題が延々と続くので、彼やその仲間が自分たちでネット上に公開している情報から本人を特定したうえで実名で語りかけてみた。

すると、そのとたんに態度が急変、謝罪して来たり、実名を許可なく晒すのはtwitterの規約違反だから削除して欲しい、などと懇願して来た。そして、こちらがそれに応じないでいると、挙句の果てには自分のアカウントを非公開にしてしまった。それこそ、完全な「逃げ」である。

このプチ炎上を観察していた高広伯彦氏(株スケダチ、株マーケティングエンジン)は、このありさまを、「匿名の間は強気の姿勢で相手をギブアップさせたかのようなこと言ってて、実名バレして以降は本人がギブアップの姿勢を見せてるって。。。情けないね」と書き込んでいる。

実は、私が突き止めたこのグループの人たちは、現役のソニー在籍者であったり、ソニーで働いた経験のある人たちであった。私の真意としては、ソニー関係者だということがわかったので急に仲間意識が芽生えて、そういう後ろ向きなことに時間を使うのはやめて、ソニー・スピリットの原点に立ち返って未来や前を向いて進んだらどうか?と激励したい思いであえて実名で語りかけたまでだった。

しかし、その思いはまったく通じずに、ツイッターがあたかも匿名を保証しているコミュニケーション手段とでも勘違いしているのか、実名を晒された、ということでパニック状態になっているようであった。

■ 陰口好きは日本の企業文化?

本来、直接向かい合って、「自分ならこうする」とか、「こうしたはずだ」という中身のある批判をするのであれば、それがどういうものであれ、まず受け入れて進むことができるのであろうが、残念ながら、世の中、そういう批判者はほとんどいない。自分はその立場にないとか、身分がちがうとか、オレの問題ではない、という具合で、厄介な人との対話は持ちにくい。向かい合う方法がないから、こちらには何とも「嫌な」気持ちだけが残る。

過去の経験からも、日本人は、陰で、あるいは当人のいないところで、相手を誹謗中傷するのが本当に好きな人種だと思う。これはもう、日本の企業文化といってもよい位ではないだろうか。直接は言わない、言うことは聞かない、守らない。でも、やたら、理屈っぽく、陰では持論や自身の正当性を主張する。

こういう態度はとても残念だが、そんな人が多いのは事実だと思う。しかしながら、こういう人たちとも、直接会って一対一で対面して話をすると、それなりに話ができる人も少なくない。今回の攻防においても、感じたのは、「あなたはエライ人、有名人、こっちは無名、立場が違う」、というルサンチマン的正当性である。しかし、そういうルサンチマンは、実は、自分はこれだけやっているのに、認められていないとか、そういう不満に根差している場合も多いのではないだろうか。

そうだとすれば、そこで私が想像するのは、やはり今のソニーの上層部や過去のソニーの上層部全般に対するやり場のない不満、鬱憤、怒りなどが、ソニーの現場のいたるところに渦巻いていて、そういうものが、こういう形で出てきてしまっているのではないだろうか、ということである。組織が健全であれば、こういう人たちに対して、「あなたなら、どうするか」「もし、あなたが、現場の責任者ならば、こうすればいいのではないか」というふうに大所高所から導いてあげる人がもっと内部にいないといけない。しかし、現状はそうはなっていないのであろう。

■ 正面から向き合うことにしか答えはない

振り返ってみれば、ソニーのリストラは、もうハワード・ストリンガー時代から延々と10年の単位で毎年のように続いていて、いわばその「慢性的リストラ文化」が唯一ハワードがソニーに残したものとさえ言えるのではないかと思う。今の平井体制になってからも、エレキの復活を声高に唱えながら、いつまでもオオカミ少年状態で、リストラや業績の下方修正は一向に収まらない。

無責任体質が染みついた、こんなどん底まで荒み切った状況の中では、現場にモチベーションを維持しろ、と言ってみたところでとてもそれどころではない。今のソニーの内部では、おそらくいたるところでモラルハザードが蔓延しているのではないかと想像する。リストラの慢性化に伴うモラルハザードの慢性化である。

今回、最初に私に絡んできた人や、その人の仲間と思われる人たちも、恐らく現場マネジメントの一員として、日々責任ある仕事をしている人たちなのだと思う。自分がどんなに懸命に頑張っても、自分の力の及ばないところでどうにもならない無力感に日々さいなまれているのかもしれない。

私もソニー時代に、カンパニープレジデントという立場を数年経験したが、経営層からはワンランク下のいわば前線の青年将校クラスのポジションであり、現場の悲哀は痛いほどよくわかる。困難な境遇や理不尽な状況の中でも最善を尽くし、自らのインテグリティを尊重して行動するというのは、並大抵のことではない。どこまでも孤独で重たい体験であり、そのような修羅場を経験しないと絶対にわからない世界でもある。

結論として、今回のツイッターでのプチ炎上から、私は改めて今のソニーが抱える病巣の根の深さを教えられた思いであるが、ソニーの凋落を加速する一方の無能な現経営陣へのやるせない怒りを新たにする一方で、現場の人達への深い同情を禁じ得ない。すでに8年も前にソニーを離れた自分にはもはや何の関わりもないことではあるが、いまだに何か自分にできることはないものだろうか、と考え込んでしまうのである。

もしも、一言だけ、助言を許されるのであれば、やはり、「問題や現状に正面から向き合う以外に答えはない」ということなのかと思う。どんなことでも、自分自身で、まず課題にも相手にも「面と向き合うこと」以外に方法はない。

英語なら、face it。人に対してならface to face。思うに、そういうモラルがどんどん衰退しているように見える。小さいことを厳しく攻め立てるばかりで、自ら向き合う姿勢を重んじなくなっているというか。上の人がそうであればなおさらだ。繰り返すが、現実や直接の相手に対して、面と向かい合うことなしに、何かが変ったり起こったりするということはない。

■ 他人事などない、すべては自分事

目に見えることや、聞こえること、人の話や体験を、「自分のこととして考える」ことが「学ぶ」ための基本姿勢であると思う。実はこの世のすべての事象はつながっていて、他人事なんていうものはない。インターネットの時代になって、ますますその思いを強くしている。

私が心から敬愛する友人から聞いた話であるが、スウェーデンの中学校の社会の教科書のタイトルには、「You own community」と書かれていて、教科書の冒頭に、「学校の任務は、生徒ひとりひとりが、みずからの将来を築くという困難な仕事に向き合う導きをすること」だと明記されているそうだ。何事も、自分事として考えることが出来なければ、学ぶことなどできない、ということなのだと思う。

今回の一件でも思うが、今のソニーの人たちに求められていることは、経営層から現場の人に至るまで、「悪いのは今までの経営陣や、今の社長や、上司や部下や、ビジネス環境や、ルールなんだし、ま、自分には特にやれることないんだけどね…」という他人事的で他責や他罰の態度を完全に捨て去り、一切の苦しみや厳しい現実から絶対に逃げないで、自分事としてそれらに正面から対峙し、そこに果敢に挑んでいく勇気や態度なのではないだろうか?

それこそが井深さんや盛田さんが教えてくれたソニー・スピリットの神髄でもあると思う。

2月24日に講談社の現代ビジネスブレイブのメルマガに寄稿したものの転載です

2014年2月22日土曜日

鈍感力を鍛える、ということ

個人名が公になっている人は、ネットなどで突然思わぬ攻撃を受けることがあると思うが、私もtwitterなどで、「これはいくらなんでもひどい」と感じる一方的な攻撃を受けることがある。大抵の場合は黙殺するのだが、たまにこちらも虫の居所が悪い時など、敢えて乱暴な言葉を使って反撃を試みることもある。そうすると、今度はまた寄ってたかって「聖人君子」や「正義の味方」が次々と登場してきて、更にさまざまな攻撃に晒されることになる。いわゆる炎上というやつだ。それでこちらもバカバカしくなって離脱すると、今度は「逃げた」とか、更に散々な罵詈雑言を浴びせ掛けられる。

こちらは、もともと公人として実名を晒しているわけだから、どこに逃げも隠れもしようがないし、そもそも、このようにネットでありったけの罵詈雑言を浴びせ掛けてくる人達は例外なく匿名で、この人達こそ最初から逃げ隠れしている人達なのであるからそれこそ笑ってしまう。そして、この人達は、自分勝手な思い込みに基づいた解釈で言うだけ言って気が済むと、場合によってはご丁寧に一連のやり取りのまとめサイトなどを作り上げ、その後、徐々に収束していく。まるで自分達が勝ち誇ったかのように勘違いしているのだろう。

それにしても、いきなり公衆の面前に引きずり出されてバッシングされる側にしてみれば、たまったものではない。しかし結論は、実名を晒している人は、どんな理不尽な攻撃を受けても、匿名の人達からの執拗な攻撃からは逃げようがないのであるから、結局さまざまやってみても、時間の無駄なのである。

だから最後に思うのは、坂本龍馬の言葉、「世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る」なのであり、自分の鈍感力を鍛えるしかない、ということでもある。そしてこれからも、実名で正々堂々と自分の信念に基づいた行動と発言を続けて行こうという決意を新たにするのである。

2014年2月8日土曜日

消去法で決めるしかないのが悲しい今回の都知事選

ポリタスへの寄稿をこちらにも転載しておきます)

ポリタス頑張れ!
今回、津田さんからこちらへの寄稿のお声掛けをいただき、喜んで引き受けました。理由は二つで、一つ目は、かねて津田さんのようなまったく新しいタイプのフリーランスのジャーナリスト(この言葉が適切かどうかは別として)の活動に大いなる可能性を感じており、必ず今後の日本のさまざまな課題を解決する大きな力になっていく、と感じているから、ということと、二つ目の理由は、盛り上がらない都知事選挙に都民や国民の関心を少しでも向けねばならない、という危機意識からです。したがって、今回の都知事選挙に関して言えば、投票行為そのものよりも、津田さんのような方がこのような呼び掛けを行い、それにさまざまな立場の人達が呼応して、そのやり取りを大勢の人達がネットで見る、ということそのものが重要なのだと思います。

候補者の顔ぶれ
前置きが長くなりましたが、今回の候補者の顔ぶれを見ての第一印象は、とにかく、これでは盛り上がらないのも仕方がない、というような候補者しかいないことです。その中で、お会いしたことはありませんが、田母神俊雄氏の言動には関心を持ってきました。この方は日本人として一本筋の通った方だ、という印象を持っていますが、しかし、政治や経済に関しては全くの素人である軍人ですから、2020年のオリンピックを控えた大切な時期の都政を任せるにはやはりリスクが大きい。政治も経済もプロの仕事であることを考えると、選択肢としては、結局、舛添要一氏か細川護煕氏かの選択肢しかないと思いますが、巷では舛添要一氏の圧勝が確実視されています。

クラウドファンディングで政治資金集め
泡沫候補というと怒られますが、今回、その中での話題は何といっても家入一真氏でしょうね。ご本人も当選するとはまったく思っていないでしょうし、インターネッ党などと、どこまで本気なのか冗談なのかもわかりません。立候補の目的も、そもそも政治に関心があるのかさえもわかりませんが、ネットを駆使し、ホリエモンの応援も得て、ニートの人達など、他の候補にはまったくないユニークな目線を代表した存在であるのは間違いありません。東京都にはいろんな人達が集まっているわけですから、「標準的な人達」が拾えない声や見えない課題をもっと主張して、新たな論点を提示してくれると選挙戦も少しは盛り上がるのに、と思いますが、あまりにも時間がなさ過ぎるのが残念です。ご自分でもキャンプファイヤーというクラウドファンディングの事業を手掛けていますが、あえてシューティングスターという別のクラウドファンディングを使って選挙資金を集めたりもしています。こういう着想はやはり素晴らしいと思いますし選挙の常識に一石を投じるアクションとして貴重です。今回の選挙で彼が想定以上の支持を集めたりする現象が起きると面白いな、と心密かに応援しています。年齢的にも、上記の3名と宇都宮健児氏がすべて65歳以上のご高齢なのに対して、35歳と圧倒的に若い存在でもあります。

ちなみに、グーグル検索の累計件数は、2月1日の夜の時点で、「舛添要一」が526万 件、「細川護煕」が268万件、「田母神俊雄」が何と544万件、そして「宇都宮健児」は197万件です。「家入一真」も159万件と健闘しています。グーグルトレンドでの過去7日間の人気度は、やはり2月1日の夜の時点で、家入氏、細川氏、舛添氏、田母神氏、宇都宮氏の順になっています。

東京都のトップの重み
ところで、東京というのは本当に凄い都市だと思います。パリでもロンドンでもニューヨークでも、私の知る限りでは、世界中どこに行っても、東京ほど、公共交通機関などの都市インフラが整備され、空気が綺麗でゴミもなく、食事もおいしく、安全な都市には出会ったことがありません。今や、大抵の公衆便所にすらウォシュレットも完備されています。1300万人もの人が住んでいながら、毎日毎日、分単位の過密スケジュールの中で大きな事故も遅延もなしに同時に多方向に人が移動できる都市、というのは驚異的です。都知事選挙では、国家権力とも渡り合えるだけの力すら持つこれだけの大都市のトップを直接民主主義で選ぶわけですし、特に今回は、2020年に向けてこの大都市を防災やバリアフリーなどの様々な観点でリニューアルしていく為の明確なグランドビジョンを描き、それを実行できる人を選ばねばなりません。本来であればもっともっと盛り上がるべきですし、それにふさわしい候補者を我々は厳選しなければなりませんが、そのような流れにならずに白けてしまうのは、今回の都知事選が猪瀬氏のスキャンダルによる辞任に起因していることと、都知事選挙の仕組みに問題があるからだと思います。

都知事にふさわしい候補者のスペックとは?
アベノミクスにより、ようやく長いデフレや経済不況の暗黒から抜け出る兆しが強くなってきた中、決してこの勢いに水を差すことなく、東京を更に進化させて世界のモデルとなる未来都市を構築していく為には、高いクリエイティビティと共に強い実行力が求められますし、経済や先端技術にも明るいことが必要です。本来であれば、政治家や学者よりも、強い起業家・事業家タイプのスペックの人が候補者としては最もふさわしいのではないかと思います。残念ながら、今回の候補者の中にはそのようなスペックの人がいないので、どうしても消去法で選んでいくしかない、というところが残念な現実というところです。

2014年2月1日土曜日

大阪 冬の起業応援フェスタ

先日、大阪産業創造館で開催された「冬の起業応援フェスタ」というイベントに協力しました。キーノートスピーチやパネルへ参加したのですが、あらためて関西の皆さんの熱気を感じることが出来ました。昨年の7月から大阪のグランフロント・ナレッジサロンを利用するようになってから、関西の方々との出会いの機会が増え、弊社のクラウドファンディングサイトのCOUNTDOWNへも関西の方々のチャレンジ・エントリーが続いています。

様々な課題も山積ですが、一方で、今ほどチャンスに恵まれた時代もない、と実感しています。コンピュータのテクノロジーが素晴らしく発達したお陰で、誰もがスマホ一台あれば低コストでその限りない恩恵にあずかれ、また、インターネットに繋がった世界中の人達と時間差無しに交流も出来れば協業も出来ます。こんな時代に古いスタイルや従来の延長線上にとどまって保守的な生き方に閉じこもっているのはもったいないと思います。もちろん、冒険やチャレンジに向いている人もいれば、向いていない人もいるので、誰彼かまわずやみくもにチャレンジや起業を煽るのはナンセンスな話ですが、冒険好きで、腹が据わっていて、忍耐力があり、我こそは!と思う人は、どんどん新しいことに挑戦すれば、失敗を重ねながらも必ず新しい道を開拓していくことが出来ると思います。そして、そんな人達の絶対数が増えて行けば、少子高齢化といわれ成熟国家と言われるようになった我が国も自然と元気になっていくのではないでしょうか。

それと、今回感じたのは、大阪弁のパワーです。パネルのファシリテーターの方がコテコテの大阪弁で絶妙の進行をしてくれたお陰で会場とも一体となって大いに盛り上がりました。ちょうど翌朝のTBS系列のTV番組「がっちりマンデー」を見ていたら、「九州通販王国」というテーマで、博多弁や鹿児島弁でのトークをセールスアップに繋げている複数の企業を取り上げていましたが、標準語では絶対に出せないニュアンスを出せる大阪弁を始めとする方言の力というのもあなどれないと実感しました。

ところで、特許庁のホームページを見ると、工業所有権制度が創設百周年を迎えた昭和60年4月18日付で、我が国の十大発明家、という方々が登録してあり、残念ながら、その後の更新がないので、古い方々ばかりなのですが、大阪にゆかりの方が二名います(邦文タイプライターの杉本京太氏、八木アンテナの八木秀次氏)。また、川端康成氏や江崎玲於奈氏などのノーベル賞受賞者や松下幸之助氏などの実業家、安藤忠雄氏等の世界的に活躍する現役の建築家も大阪になじみの深い方々です。ですから、私は大阪に行くといつも大阪発で日本や世界を変えることはいくらでも出来る、と申し上げているのですが、それぞれの地域が輩出した世界に活躍する偉人も数々いらっしゃるでしょうから、そういう人達の生きざまに学ぶ、というのもいいかもしれませんね。

今回もさまざまな素晴らしい方々との出会いに恵まれた実りの多い機会となりました。主催された大阪産業創造館の皆様や、協力された起業家の方々、また会場にお集まりいただいた聴衆の皆様との出会いに感謝しています。ありがとうございました。
 

左から、本田勝裕氏、岡田充弘氏、辻野、小間裕康氏