2014年12月31日水曜日

大晦日から元旦へ

日本人の一人として、日本に生まれてよかったと心の底から思える瞬間は数多くありますが、大晦日や元旦もそうです。

「師走」は文字通りの慌ただしい日々が続きますが、これは、年が変わる前に仕掛かったことをすべてやり遂げてしまおう、という日本人の「けじめ」を大切にする精神性から来ているように思います。それに加えて、クリスマス商戦、年末の大売り出しなど、商売の面でも年の瀬はかき入れ時で、多くの人達が本当に忙しく動き回っています。

それが、大晦日を経て元旦を迎えたとたん、急に静かで清らかな雰囲気へと一変します。暦が一日切り替わっただけなのに、「動」から「静」へと、世の中が一瞬で転換します。大晦日から元旦に切り替わるこの瞬間は、過ぎ去った一年を想い、新しく始まったばかりの一年への決意や期待が交錯する特別な時間です。この瞬間を大切に思う気持ちは世界共通だと思いますが、さまざまなしきたりや行事の多さからみても、ことさら日本人のこだわりは強いのではないでしょうか。

さて、先日の衆院選は、当初の予想通り、戦後最低の投票率で盛り上がりに欠けたまま与党の圧勝に終わりました。自民党はこれで禊(みそぎ)が済んだつもりになっているのかもしれませんが、年明け以降、驕ることなく、幾多の難題に是非気持ちを新たに取り組んで欲しいものですし、我々も頑張らねばなりません。新しい年が素晴らしい年となることを心から願っております。

今年も皆様には大変にお世話になりどうもありがとうございました。どうか良いお年をお迎え下さい

2014年12月9日火曜日

割れ窓理論

受け売りの話で恐縮ですが、アメリカの犯罪学者、ジョージ・ケリングという人が提唱する「割れ窓理論」というのがあるそうです。建物の窓ガラスがどこか一ヵ所割れていて、それを割れたまま放置していると、やがてほかの窓もすべて割られてしまうというものです。

かつてのニューヨークはアメリカ有数の犯罪都市でしたが、2001年9月11日の同時多発テロの時に「世界の市長」と称賛され有名になったルドルフ・ジュリアーニ元市長が、1994年に市長になった時に犯罪撲滅を宣言し、このケリングを顧問にして、「割れ窓理論」を参考に治安対策に取り組みました。地下鉄の落書きを完全に消すなど、街全体を徹底的にきれいにしたところ、それに伴って治安も良くなっていったそうです。今や日常のニューヨークは昔に比べるとずいぶんきれいで安全な街になりました。

人間は、このように他人や環境にとても影響されやすいもので、日本にも「朱に交われば赤くなる」という言葉があります。脳科学的にも、自分は運がいいと思うと運が良くなり、運が悪いと思うと運が悪くなるそうです。ネガティブな人にはネガティブなことが起き、ネガティブな人達とネガティブな話ばかりしていると、幸運は間違いなく逃げていくそうです。また、常に誰かの悪口や愚痴を言っているネガティブな人と付き合っているとどうしても感化され、気付くと自分もそのような人になってしまいます。とても怖いことです。

だからこそ、「いい人」と付き合うべきです。プラスの影響を受けるような人と付き合って、自分をいつもポジティブな状態にしておくことが大切です。大企業や大きな組織のなかには、常に職場や上司の悪口を言っている人が必ずいるものです。最近は「ディスる」という言葉もありますが、飲みに行っても愚痴や悪口が好きな人で溢れています。できるだけ、そういう人達とは距離を置いて付き合わないことです。

私も、独立してからは、自ら稼いでいる人達や自分のアジェンダで生きている人達と交流する機会が格段に増えました。そういう人達は、皆さん、いつもポジティブで理想に燃え、元気で明るく生き生きしていてエネルギーに溢れた方が多いように感じます。

「真剣だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳ばかり」という言葉もあります。「命懸け」という言葉もすっかり死語のようになりましたが、常に元気で、真剣に、命懸けで生きて、愚痴や言い訳とは無縁の日々を目指したいものです。

2014年10月8日水曜日

アル・ゴア氏の講演

先日、米国の元副大統領アル・ゴア氏の講演を聞く機会がありました。ゴア氏は2007年にノーベル平和賞も受賞しています。受賞理由は、「人間の活動によって引き起こされる気候変動の問題を知らしめ、対応策の土台を築いた」というものです。周知の通り、「不都合な真実」と題した映画を作り、また同名の本を出版して、地球温暖化がもたらす深刻な環境悪化の問題を世界に知らしめる活動に注力している人物です。現在までにこのテーマで行った講演活動の回数は1000回以上にもなるそうです。

彼の話を聞きながら、それこそ、数十億年も続き、人類が誕生してからでも数十万年も続いてきた地球の生態系が、直近の数十年、特にここ最近の20年~30年程度の間にどれだけ急激に悪化したか、ということについての危機意識を新たにしました。地球温暖化は確実に進み、北極と南極の氷河はどんどんその面積を縮小しつつあり、いたるところで海面が上昇し、異常気象が頻発しています。デング熱を始め、熱帯の病気が北上を続け、また、先日は、世界で4番目の大きさといわれていた中央アジアの内陸湖であるアラル海がほぼ消滅した、というニュースも耳にしました。

ゴア氏は、地球温暖化は急速に進行中であり、それが人為的であること、そして人類が生き延びるためには、温暖化問題に世界全体が協力して取り組まなければならない、ということを巧みな話術で熱弁しました。彼の映画はイギリスで上映差し止めの訴訟沙汰になったり、また彼自身が温暖化利権で環境長者になった、ということでネガティブなキャンペーンもありますが、彼のように世界的に影響力のある人物が、この問題に長期にわたって精力的に取り組み、さまざまな活動を続けていることには素直に感銘を受けました。また、同時に、今からでも我々一人一人が地球を守る為の意識をさらに高めて行かねばならないという思いを新たにしました。

ゴア氏といえば、思い出すのはクリントン大統領と一緒に情報スーパーハイウェイ構想を打ち立てたことです。1993年頃ですから、まだインターネット前夜でしたが、放送と通信の融合など、情報インフラ整備の積極的な政策を打ち出して一気にネットワーク時代の到来を招き、後のグーグルの登場にも繋がりました。情報スーパーハイウェイ当時、私はソニーで関連のプロジェクトに携わっていたので感慨深いものもありました。

2000年の大統領選では、ジョージ・W・ブッシュと最後まで激戦を繰り広げて僅差で落選しましたが、歴史に「もし」はないものの、「もしも」彼が勝利していたら、その後の9.11やイラク戦争もどうなっていたかわかりませんし、世界はまた違った姿になっていたかもしれない、などといういらぬことも妄想してしまいました。。。

2014年10月6日月曜日

ソニーはどこで間違えたのか

すっかりおなじみの光景となったソニーの業績下方修正。そのたびにメディア各社からの問い合わせが入る。いったい、ソニーはどうなってしまったのかと。私がソニーを辞めたのは〇六年三月のことであるから、既に九年近い歳月が流れた。ソニー時代最後の数年間の思い出はいまだにほろ苦く、当時の記憶は完全に封印したくもある。

巷ではさまざまな評論家達がソニー凋落の理由を取沙汰する。中には、直接取材もせず裏もとらない憶測と偏見に満ちたいい加減なものも散見される。しかし、ただ一つ言えることは、ソニーの凋落を誰よりも無念に思っているのは、ソニーを心から愛し、ソニーに人生を捧げ、ソニーの一員であることを誇りに思って力尽きるまで闘い抜いた戦士達なのではないだろうか。そしてその多くがそれぞれの闘いに敗れ、評論家や傍観者達には決してわからない思いを胸に残しながら、ソニーを去った。

私は、ソニーを辞めるとき、遠からずこのような凋落の日が来るであろうことを予測した。既に当時から、ソニーは持てるエネルギーの大半を外向きよりも内向きに使って、自らを消耗させるような陰湿な体質の会社に変容しつつあったからだ。内部抗争や保身にうつつを抜かすような連中が急激に異常繁殖し始めていた。盛田昭夫さんは「ネアカ」という言葉を好んで使っていたが、まさに「陽」から「陰」への体質転換が急速に進んでいたのだ。

以前のソニーには、好奇心旺盛で負けず嫌いな目をキラキラさせた少年達が集まっているような無邪気なところがあった。それを井深大さん、盛田さんという二人の偉大な創業者を始め、世界のソニーを創り上げた珠玉のような重鎮達が見守り、育て、世界に羽ばたかせてくれた。とんでもない跳ねっ返りエンジニアのぶっ飛んだ商品アイデアの話に嬉しそうに耳を傾け、時には一緒に悩み、時には見て見ないフリを決め込み、たとえ失敗しても、上手に闇に葬ってなかったことにしてくれるようなおおらかで懐の深い上司がそこかしこにいたものだ。文字通り「自由闊達」な雰囲気に満ちた光り輝く宝石のような会社だったのだ。

「ソニー神話」という言葉もあったが、全盛期のソニーは、モルモットとも呼ばれ、トランジスタ・ラジオや、トリニトロン・テレビを始め、時代の最先端を行く家電を次々と生み出していた。パーソナル家電という分野もソニーが創造した市場であり、パーソナルオーディオの先駆けとなったウォークマンや、パーソナルゲームの流れを作ったPSPなど、現在のスマホにも繋がる系譜を生み出した。また、犬型ロボットAIBOや、人型ロボットQRIOなどを誕生させた会社でもある。「人のやらないことを真っ先にやる」を信条とし、グーグルなどが登場する時代を圧倒的に先んじて最先端の分野に取り組んでいた。

そんなソニーの異変を初めて強く意識したのは、〇二年頃、「コクーン」というマシンを作った時のことである。Linuxを用いたコンピュータとしての家電であり次世代テレビを意識したマシンで、ハードウェアだけでなく、インターネットとの連携を重視して専用のポータルも同時に開発した。基本コンセプトは「成長する家電」。顧客が購入して使い始めると、その好みを学習しながら機能をカスタマイズしていく、という当時としては画期的なマシンであった。ネットを通じて常にファームウェアを最新のものに自動更新する機能も備えていた。しかし、当時の経営幹部の中でこのマシンの真の意味を正しく理解できる人はほとんどいなかった。明らかに触ってみたことすらない連中から的外れな批判をされることもあった。あれだけ新しいものが好きで、好奇心旺盛だったソニーの根幹に異変が起きつつあるように感じた。

決定的だったのは、コクーンに続いて、〇三年に「スゴ録」という家庭用録画機を作った時のことだ。当時、国内マーケットでは、先行したパナソニックの「ディーガ」のシェアが圧倒的だった。カンパニーから工場、営業まで一丸となり巻き返しに躍起だったさなか、あろうことか、同じソニーグループから「PSX」という対抗馬をぶつけられたのだ。市場ではスゴ録の圧勝だったにもかかわらず、何故か私はカンパニープレジデントを解任された。この時、当時の上司だった上席常務からは「ソニーだから出せば売れるんだ」と言われた。既に劣化し始めていたソニーブランドの威信を取り戻すために共に必死で闘った仲間達の顔が浮かび悔しくてならなかった。ソニーブランドの価値にただぶら下がって食いつぶしているだけの怠慢で傲慢な発言だと思った。

そして、私がソニーを去る直接のきっかけとなったのが、ウォークマン巻き返しのコネクトカンパニーを引き受けたことだ。最初からほとんど勝ち目のないプロジェクトを引き受けるのは無謀で、硫黄島に送り込まれる青年将校のような悲痛な思いであったが、まだ今ならぎりぎり何とかなるかもしれないと一縷ののぞみに賭けた。しかし、当時の副社長の一人から、「アップルに頭を下げてiTunesを使わせてくれ、と言えばすむ話だろ」と言われたことは忘れられない。社運を賭けて懸命にアップル対抗をやっているそのさなかに、まさに信じられない発言であった。コネクトカンパニーは発足から一年余りで解体となり、私は文字通り敗軍の将となってソニーを去った。

ワークステーションや、ロボットなど、多大な貢献をされた天外伺朗氏が、後年、ソニーの「燃える集団」が、次々と奇跡を起こした秘密を「フロー理論」で説明しているが、運をも味方にしてしまうような数々の奇蹟は、井深さんのような技術者による、指示も命令もしない「徳」でおさめる「長老型マネジメント」の功績であるとしている。しかし、その後のソニーは、ロボットという次世代産業をゼロから築き上げるような壮大なチャレンジですら、「儲からない」という理由で惜しげもなくつぶしてしまい、天外氏もソニーを去った。

ソニーが復活するためには、まず、今の内向き体質や無責任体質を一掃することが急務だろう。社員に夢をもたせ、楽しんで困難にチャレンジする燃える集団を創り上げて難局を打破するのが経営の責務である。業績悪化のたびにその責任を現場社員に転嫁し、リストラばかり繰り返すうちに、すっかり「陰」の暗い体質が染みついて取り返しがつかない状態になりつつある。 

そして、脇道に逃げないことだ。課題に正面から向き合わずに会社の建て直しが叶うはずもない。既にVAIOは売却し、テレビも分社化した。失われた時間や人材や資産を取り戻すことはできないし選択肢も限られている。

「海賊とよばれた男」出光佐三氏は、戦後、出光興産の再興にあたって一人の社員のクビも切らず、玉音放送の直後に「愚痴を止めよ」というメッセージを発信した。「戦争に負けたからといって、大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び起ち上がる」と述べ、「ただちに建設にかかれ」の号令と共に艱難辛苦をものともせずに出光興産を復活させた。今のソニーに欠けているのはこのような強烈なリーダーシップであろう。

愚痴や言い訳やリストラはもういい。日本人が創業して世界企業に育て上げた誇りを再び取り戻すのだ。そして、困難な道に自ら飛び込む志の高いサムライ達を再結集し、自分達をどこまでも信じて脇目も振らずに全力で身を挺して再建にあたる。そうすれば不可能なことなど何一つない。そう信じている。

*本稿は文藝春秋社の週刊文春10月2日号(9月25日発売)掲載記事の転載です。

2014年10月4日土曜日

朝日新聞の件で思うこと

少し前、朝日新聞の問題が大きな騒ぎとなりましたが、細かい論評はここでは避けるとして、従軍慰安婦問題では、信憑性のない証言をもとに、日本軍による強制連行があった、と誤報道し、それも一つの大きなきっかけとなって、我が国が国際的に大きな誤解を受ける結果となりました。その上、その事実誤認を認めるのに32年もの歳月が掛かり、明確な謝罪もしていません。福島原発の吉田調書の曲解報道もひどいものでした。9月11日の木村伊量社長の会見は、その会見そのものが自社や自分の保身を目的としたものであったことが透けて見えるような内容に終始し、この報道機関の体質をより一層はっきりと世間に晒してしまいました。

結局、自分の耳に痛いことや厳しいことを言ってくれる人を大事にできるかどうかがその人や組織の器量を決めるものだと思います。池上彰さんのコラム掲載拒否の一件がわかりやすかったですが、朝日は、自分達に都合の悪いことを握り潰すような体質がすっかり染みついていたという印象も世間に与えてしまいました。公正さが信条の報道機関の資質はもはや失われてしまったのでしょうか。欧米のメディアでは、社説と異なる外部有識者の意見をOp-ed(Opposite editorial)と称して積極的に掲載しバランスを保つ努力をしています。池上さんのコラムもまさにそのような役割を果たすためのものであったと思いますし、それを普通に掲載していればまだ救われたと思いますので、本件の対応を誤ったことも残念でした。

しかし、今回のような話は、果たして朝日新聞だけの問題でしょうか?決してそんなことはなく、ごく日常的な光景でもあると思います。人間というのは実に弱く愚かなもので、すぐに勘違いして傲慢になったり、尊大になったりして、外部の批判に激高したり、内部の諫言を退けたりするものです。これをまさに他山の石として、いま朝日新聞のバッシングに躍起になっている競合メディアや、その他一般の人達も、普段の自分の態度を振り返るきっかけにするのがいいのではないでしょうか。耳の痛いことを直言してくれる人、厳しく批判してくれる人、普段の立ち居振る舞いにこまごまと注意をしてくれる人、そういう人に対して怒ったり、煩わしく思ったりするのではなく、かけがえのない人として、謙虚に耳を傾け、心から感謝しているかどうか、ということを。

結局、組織の凋落というものも、人の傲慢さに端を発するものだと思います。日本にはいいことわざがたくさんあります。「おごれる人も久しからず」、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」、「勝って兜の緒を締めよ」等々。昔、ソニーの盛田昭夫さんは、世の中が好景気で、会社も絶好調の時に、真っ先に「荒天準備」と言っていました。海軍や船乗りの言葉で、「嵐に備えよ」ということですが、好景気や、会社の好業績に浮かれることなく、常に自ら気を引き締めていたのだと思います。

今のソニーの状況や、朝日新聞の状況は、どこかに共通点があるのかもしれません。

(*講談社の現代ビジネスブレイブのメルマガに寄稿したものの転載です)

2014年9月10日水曜日

イーロン・マスク氏来日

テスラモーターズのモデルSの日本国内発売にちなみ、イーロン・マスク氏が来日したようですね。テスラモーターズやイーロン・マスク氏については、近著でも触れましたが、その昔、インターネットを利用した決済サービスを提供するペイパル社の前身となる事業を興した人物であり、最近ではスペース・エックスで商用ロケットの打ち上げにも次々と成功しています。

学生時代、2050年に世界の人口が100億になる予測に危機意識をもった彼は、将来、火星などの惑星に人類を移住させることを本気で構想していると言われています。地球環境に強い危機感を抱き、クリーンエネルギーへの投資にも積極的で、その一つがこのテスラモーターズであるともされています。地球温暖化の元凶でもある二酸化炭素排出問題へのソリューションとして、テスラの電気自動車でガソリン車を世界中から駆逐することをもくろんでいるからです。

8日の六本木ヒルズでの発売セレモニーでは、今回納車となる日本の9組のオーナーに直接キーを手渡したそうです。電池はすべてパナソニック製で、2015年までに日本全国に専用のバッテリーチャージャーも設置していく計画のようですが、既に日本の高速道路SAなどに設置されているEV用の急速充電設備CHAdeMO(チャデモ)規格でも充電ができるようにアダプターも準備していて、これを使えば、約2,000箇所のCHAdeMO規格の充電スポットを利用することもできるそうです。

とにかく、まだ40代前半の天才起業家ですが、とてつもなくスケールの大きな人物です。グーグルの創業者の一人、ラリー・ペイジも、イーロンほど独創的で大胆な男はいない、と述べ、「イーロン・マスクに投資することが最大の博愛だ」とも発言しています。

今回の来日では、自身でツイッターに新宿の「ラーメン二郎」に立ち寄ったことをツイートしたりとお茶目な一面もあります。当面、彼の動きからは目が離せませんね。


(写真は二枚ともhttp://ignite.jp/より借用) 

2014年8月31日日曜日

ALS Ice Bucket Challengeに思うこと

ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病に対する理解と支援を目的とした「ALS Ice Bucket Challenge」が世界的に大きな話題となりました。各界の著名人がたくさんこのイベントに共鳴して頭から氷水を被っている映像をSNSでシェアしています。

多彩なセレブ達が氷水を浴びる動画が次々と評判を呼んで、この運動は瞬く間に世界中に拡がり、短期間で日本円にして30億円を超える寄付が集まったようですし(現在進行形)、まさにネットやSNSの威力をまざまざと見せつけてくれたとともに、グローバルスケールでのバイラル・マーケティングの最大の成功事例の一つでもあると思います。また、このような助け合いの輪が世界中に広がっていくこと自体は実に素晴らしいことだと思います。

しかしながら、この運動の発案者といわれる若者が事故で亡くなったり、パフォーマンスが行き過ぎて死者や怪我人が出るなど、この運動を巡ってはさまざまな話題や議論も巻き起こっているようです。夏季の水不足が深刻な米国カリフォルニア州では、チャレンジへの参加は水の無駄遣いとして罰金を課すことにしたとの話も耳にしました。

先日、この順番が、あろうことか、私にも回って来てしまいました。ルールとしては、指名された人は、24時間以内に、氷水を頭から被るか、$100の寄付をするか、どちらかの選択をして、次に続く人を3名指名しなければならないことになっています。私は、氷水を被ることはせずに、おとなしく$100をALS Associationに寄付しました。そして、次に続く3人の指名も見合わせました。

理由はさまざまありますが、端的に言うと、既に過熱気味に世界中が十二分に盛り上がっている中で、更に自分が今さら氷水を被りその映像をアップすることにあまり価値や意義を感じなかったためです。次に続く3人を指名する、というルールも、チェーンメールやねずみ講のようで、指名する人達に余計な同調圧力を掛けるように感じたために、勝手ながら、私に繋がった分岐は私で終わりにすることとさせていただきました。

本当は、もっと気の利いた対応をしてこの運動の盛り上がりにも少しでも貢献できればオシャレなんでしょうが、自分として最も誠実な対応は何かということを考えての結果です。オシャレと言えば、英国の俳優パトリック・スチュアートさんの対応などはいかにも英国紳士らしいスマートなものです。サッカーのブラジル代表 ネイマール選手がワールドカップで自分に怪我を負わせたコロンビアのスニガ選手を指名して因縁を水に流したのも爽やかで話題を呼んでいました。

しかし、この運動の本質がALSの認知を拡げその患者への支援にあるのであれば、実際の患者の皆さんがこの運動に対してどういう思いをしているのかということがとても気になるところです。ネット上では、この運動をあまり快く思っていない患者の方からの意見も目にしました。

現在、世界中には、ALSに限らず、難病で苦しんでいる人達がたくさんいます。また、昨今のシリア、イラク、ガザ、ウクライナなどでの紛争では、多くの一般市民の人達が日々犠牲になる状況が続いています。日本でも、東北地方では未だに多くの被災された皆さんの苦労が続いていますし、最近も、広島では未曾有の豪雨による大きな災害も発生したばかりです。そしてそのような世界各地の状況を憂えて活発に活動しているNPOや、Ice Bucket Challengeの盛り上がりをよそに、ボランティア活動などの地道な行動を起こしている人達もたくさんいます。

そもそも、この世には弱者も強者もなく、人というのは一様に一人では決して生きられない弱い存在です。日本には、「互譲互助」という素晴らしい言葉もありますが、「お互い様」という精神でまずは周囲の人達のことを思いやることを大事にしていきたいと思います。その上で、今回の運動も一つのきっかけとなって、世界中の人達が、身の回りや遠く離れた場所で辛い思いをしている人達に対して継続的に思いを寄せ続け、どんな小さなことでも、自分に出来ることを考えて何らかの行動を起こしていく、という助け合いの輪が広がっていくことを心から願いたいと思います。

(*講談社の現代ビジネスブレイブのメルマガに寄稿したものの転載です)

2014年7月30日水曜日

平和の祈り

先日、ウクライナのドネツク上空でマレーシア航空機が撃墜されるというショッキングな事件がありました。また、同じようなタイミングで、イスラエル軍がパレスチナ自治区のガザに侵攻し、多くの市民が犠牲になっています。シリアやイラクでの内戦も続いています。

不穏さが増す一方の世界情勢の中、わが国においても集団的自衛権の行使が、憲法改正などの正式な手続きを踏むこともなしに閣議決定により容認されるという事態になりました。太平洋戦争後、平和憲法を頂くことにより70年に渡って他国の争いに巻き込まれることを回避し続けてきたわが国の基本スタンスを大きく変えてしまう一大事です。

ここのところ、非常に性急かつ強引に、日本版NSC、特定秘密保護法、防衛装備移転三原則、集団的自衛権の行使、集団安全保障など、国のあり方を根本から大きく変えてしまうような一連のルール変更が正式な手続きを踏むことなく、なし崩し的に進められていることには強い危機感を抱かざるを得ません。

外務省のホームページには、7月3日付で、以下のような説明が掲載されています。

「日本として、国際協調主義に基づく『積極的平和主義』の立場から,同盟国である米国を始めとする関係国と連携しながら,地域及び国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に寄与していかなければならない」

いわゆる、八百万の神の国である日本は、元来、多様性に対して懐が深いところがあると思います。それぞれの違いを尊重し、「世間さま」に遠慮したり配慮しながら「和をもって貴しとなす」や、「互譲互助」という精神を根底に持っており、「利己」は嫌われ「利他」が重んじられます。

上記の外務省の説明文は非常に耳触りも良くもっともらしい主張ですが、「積極的平和主義」というものの本来のあり方は、武力を肯定した「利己」の押し付けであってはならないと思います。日本が再び軍事大国としての道を歩みはじめ、それをもって「積極的平和主義」を唱えるのであれば大いに警戒しなければなりません。

キリスト教の出典ですが、ある方が、聖フランチェスコ・アッシジの平和の祈り、というものを教えてくださいました。

【平和の祈り】
「主よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使い下さい。憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところに許しを、分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。わたしたちは与えるから受け、許すから許され、自分を捨てて死に、永遠の命を頂くのですから。」

暴力や武力で押さえつけるやり方からは悲しみや憎しみの連鎖しか生まれないことを嫌というほど学んできたにも関わらず、それを繰り返す人類は本当に愚かで救いようがありません。紛争地域に一刻も早い平和が訪れることを心から祈ります。

2014年6月29日日曜日

ローマ法王に米を食べさせた男

たった一人のチャレンジで、世の中は変えられる、そう確信させてくれた事例があります。先日、その人物に会って来ました。

石川県羽咋(はくい)市の地方公務員である高野誠鮮氏は、神子原(みこはら)村という廃村寸前の限界集落を立て直しました。過疎化が進み、65歳以上の高齢者が構成人口の50%以上を占め、そのまま放置しておくと消滅してしまう可能性の高い集落を限界集落といいます。神子原村も、そんな限界集落の一つでした。高野氏は、この限界集落の立て直しを市長から命じられました。ただし、与えられた年間予算はたったの60万円。普通なら、こんな額では何もできないと考えるでしょう。

しかし、高野氏は市長からの指示に従うことにしました。ただし、「いっさいの稟議を廃し、自分だけの判断、決断で村の立てなおしを進めさせてほしい」という条件を付けました。行政の世界は何事も稟議で決められます。その意味では非常識な要求でしたが、市長はその条件を受け入れ、高野氏の挑戦は始まりました。高野氏はまず村の若返りを図るために、空き家になっている農家を若手の移住希望者に安く貸し出すことで、村への移住者を募集しました。こうした施策はとりたてて目新しいことではありませんが、通常は移住者に補助金を出したりしてお願いして来てもらうことが多いそうです。ところが、高野氏のアイデアがユニークだったのは、「この村に来たければ、どうぞ来てください。ただし、あなたがほんとうにこの村にふさわしい人かどうか、村民で面接試験を行います。合格した方のみ移住を受け入れます」と、あえて「応募者を選別する」という強気のスタイルをとったことでした。予算もない高野氏としては苦肉の策だったのかもしれませんが、おもしろいもので、応募者が殺到して定着率も100%となったそうです。結果的に、人間心理をうまく衝いたのでしょう。

しかし、高野氏のほんとうのすごさは、村を救うために、いきなり「世界」をめざしたことです。神子原村は稲作を中心とする農村ですが、一世帯当たりの年間平均所得はわずか80数万円の極貧の村でした。きれいな水と稲作に適した気候に恵まれた神子原村のコシヒカリは高品質なものですが、収穫した米はそのまますべてJAに買い取ってもらっていました。そこで高野氏は、「自分たちで米のブランディングを行い、値段を上げて直販しよう」と提案します。しかし、村民たちは猛反対。「そんなことができるものなら、自分でやってみろ」と言われます。

ここで高野さんが思いついたのは、神子原米をローマ法王に献上する、というなんともユニークなアイデアでした。ローマ法王宛てに「神の子が住む高原でつくられたおいしいお米を、法王に献上したい」と手紙を書いたのです。「神子原村」という地名にちなんでの発想でした。しばらくはなしのつぶての状態が続き、さすがにあきらめかけていたとき、バチカン大使館から連絡が入りました。「人口800人のバチカン市国と、人口500人の神子原村とのあいだで親善の絆を結びましょう」

こうして神子原米はローマ法王に献上されることになりました。その様子はマスメディアによって大きく報道され、神子原米は「あのローマ法王が食したお米」ということで一躍有名になりました。いまでは新米が市場に出ると、あっという間に売り切れて手に入らない幻のお米と言われています。ほかにも、「ワインのような日本酒」を開発し、パリの三つ星レストランであるアラン・デュカスで扱ってもらったり、神子原米の品質管理に人工衛星を使うプロジェクトを進めたりと、その挑戦はまさに縦横無尽に拡がっています。村人で共同して法人を設立し、村の農産物を直売する、ということも行っています。結果的に、村は限界集落から立ち直り、すっかり活気を取り戻しています。

この高野氏のチャレンジとその成功からは学ぶことが多いと思います。特に、他の人にとってはごく普通の米をブランド米に仕立てあげた着眼点、そしてその手法がローマ法王に献上する、という世界的なブランディングセンスだったこと、など。そして、何より感銘を受けたのは、高野氏の献身的な姿勢です。私利私欲がいっさいなく、「役人」というのは「人の役に立つ人」のことを言うのだ、と無心で村の再建に身を挺しておられます。

高野さんはその後、本を書かれたり、メディアに登場されたりで、すっかり有名人になられましたが、口先だけの地域振興の話などが多い中、たった一人の発想力と行動力で世の中は変えられる、という事例を見せつけてくれた貴重な日本人だと思います。


2014年6月17日火曜日

「ロボット・AI革命」

前回のエントリーで2045年問題を取り上げたが、先日の週刊ダイヤモンド(6月14日号)で、「ロボット・AI革命」という特集が組まれていて、その中でもレイ・カーツワイルや技術的特異点問題が取り上げられているので、今やこの話題も大衆化しつつあるのかもしれない。

それにしても、ロボットが人間の職を奪う、とか、意識や感情を持つロボットの苦悩や人間との確執とか、ロボットによるストライキなどというテーマについては、どれも昔懐かしく思えるのだが、それは、そのような時代の到来や日常を何十年も前に日本が生んだ天才漫画家の手塚治虫氏が「鉄腕アトム」のなかで既に存分に描き切っていたからだ。私は幼少時にその「鉄腕アトム」に没頭した世代だが、グーグルのロボットカーのプロトタイプの映像などを見ていると、本当にそのような時代が遠からずやってくることを確信させられる。

これまでの十年よりも今後の十年で、さらに激しく世の中は変わるだろう。オックスフォード大学からは、今後二十年で現在の雇用の50パーセントがなくなってしまう、といった予測レポートも出ている。実際、上記の予測が現実となれば、労働集約型の仕事のみならず、知識集約型の仕事の多くも、コンピュータやロボットに置き換えられていくことになるだろう。その結果、大失業時代の到来を予測する声もある。

企業のライフサイクルも短くなるばかりだ。勤めている会社が突如として倒産したり、いきなり解雇されたり、そんな悲劇がいつ待ち構えているかもしれない時代だ。倒産や解雇はなくても、これまでのようにコンスタントな昇給が期待できる会社は激減した。最初に入社した会社で定年まで勤め上げるというスタイルは、今後さらに減っていき、多くの人たちが転職をくりかえすようにもなるだろう。

地球環境も激変しつつある中、今、人類は、これまでの人類史の中でも最も大きな変曲点に向き合っているのは間違いないと感じる。これまでの行き過ぎた物質主義や経済至上主義の見直しも必要だろう。明るい未来をつくれるかどうかは今の我々の意識や行動にかかっている、ということを強く認識せずにはおれない。

2014年6月1日日曜日

2045年問題

技術的特異点(テクノロジカル・シンギュラリティ)という言葉を聞いたことがあるだろうか?

これまで人類が築き上げてきた技術史の延長線上では予測できなくなる未来モデルの限界点のことを指す。米国の科学者、レイ・カーツワイルを始めとする科学者の一部が、「特異点の後では科学技術の進歩を支配するのは人類ではなく人工知能やポスト・ヒューマンであり、これまでの人類の傾向に基づいた未来予測は通用しなくなる」と主張しており、レイ・カーツワイルは「機械の知能が人類の知能を超える日」が到来するタイミングを2045年としている。一部のSFマニアやギーク達が支持するオカルト科学扱いされた主張でもあるが、2012年にグーグルがレイ・カーツワイルを獲得したことから、にわかに真実味を帯びた話題として扱われるようになり始めた。

この予測の詳細は割愛するが、街を歩いても、電車に乗っても、老いも若きもほとんどの人が必死にスマホを操作している光景は見慣れたものとはいえ、一種異様な光景でもある。異様に思うのは、いわばスマホを手放せない人達というのは、手のひらの小さなデバイスに支配されているように感じるからでもあろう。歩きながらも首をうなだれて携帯に見入り、突進してくる人を危うくよけたというような経験は誰にでもあるだろう。

今の段階ではまだ人体とは別体の外部デバイスに過ぎないが、次の段階はこれが身に纏うもの、すなわち、ウェアラブル・デバイスへと置き換わって行く。腕時計タイプのものやグーグル・グラスのようなものだ。ここまではまだ人体の外側だが、さらに次の段階は、いよいよ、チップやセンサーなどが人体の内側に組み込まれる時代が来ると予想される。人間の神経細胞レベルのナノコンピュータデバイスを作って人体に埋め込み、人間の頭脳中枢をコンピュータに直結させて「意識」をコントロールしたり、脳細胞に存在する情報を取り出すようなことも可能になるだろう。

米国のSF映画、「ターミネーター」ではサイバーダイン社が生み出したスカイネットというコンピューターネットワークが人類の殲滅を図ろうとする中での、コンピューターや殺人ロボットと人間の闘いを描いたものであった。また「マトリックス」では、人体にプラグインするシーンが生々しかったが、コンピュータの反乱によって人間社会が崩壊し、人間はコンピュータの動力源として培養されているという設定で、人間の意識と仮想現実が入り乱れた中でのやはりコンピュータと人間の闘いがテーマとなっていた。これらのハリウッド映画は、まさに技術的特異点の先の未来を描こうとしたフィクションである。しかし、AI(人工知能)ベンチャーのDeepMindやロボットベンチャー数社のの買収に励むグーグルの姿は映画の中に登場するハイテク企業とダブらないこともない。

技術的特異点の話については、それを肯定する人もいれば一笑に付す人もいる。また、そのような未来が来ることには肯定的でも、それを積極的に受け入れようとする立場と、人類にとって危険過ぎると否定する立場もあるだろう。

人間の精神や魂が人類の叡智を凌駕した機械にコントロールされるような未来を生み出さない為にも、そして、人類が人類であり続けるためにも、今後は宗教や哲学や芸術などが科学技術の飛躍的な進化とバランスを保つための実学としての役割をもっと積極的に担っていかねばならないように感じている。このテーマについては今後も追い続けて行きたい。

2014年5月7日水曜日

一斉休暇と有給休暇

今年のゴールデンウィークも終わりましたが、毎年、メディアでは道路の大渋滞、新幹線や飛行場の大混雑を映し出すおなじみの光景です。旅行サイトのエクスペディアジャパンが有給休暇に関する24カ国の調査結果を発表しています(注釈のリストでは23カ国ですが)。

http://www.expedia.co.jp/p/corporate/holiday-deprivation2013

私は今回初めて見つけましたが、これまで6年連続で調査しているようで、その間、有給休暇の消化率は日本が連続で最下位だそうです。調査対象国の中ではフランスとブラジルが有給休暇支給日数が最も長い30日で、消化率も100%とダントツで、「やっぱりそうだろうな」という印象です。スペインがそれに続いていますが、次回はギリシャなども調査対象に加えて欲しいものです。意外とアメリカは支給日数が14日と日本よりも少なく、消化率も71%とハードワーキングです。

下の方をみると、「現在の仕事への満足度」においても日本は最下位となっており、一言でまとめてしまうと、「有休も取らずによく働くが仕事への満足度は低い」、という結果です。みんなが一斉に休む国民の祝日には休み易いが、個別に休みを申請する有休は取りにくい、ということでここにも周囲の状況に合わせることを好む国民性が出ている気がします。

もっと仕事もプライベートも充実させて、仕事への満足度も高めて行くためには、国民の休日のような一斉休暇は減らして有給休暇を増やし、有休を取りやすい環境整備をしていくことが必要なのだと思います。これは、国や社会や会社だけでなく、働く人達一人一人の意識も変えていかねばならない問題だと感じました。

皆さんはどう思われますか?

2014年4月25日金曜日

世代交代の醍醐味

今年のオーガスタでのマスターズは、タイガー・ウッズの欠場、フィル・ミケルソン、アーニー・エルスなどの有力選手の予選落ちで最終日のテレビ視聴率が過去10年で最低だった、と報道されている。しかしながら、最終日のバッバ・ワトソンと、ジョーダン・スピース、ジョナス・ブリクストとの激闘には息詰まるものがあり、バッバ・ワトソンが8アンダーで優勝した瞬間にはやはり胸を打たれた。プロアスリートの真剣勝負には常に心の琴線に触れるストーリーがある。

ところで、「マスターズ17年の法則」というものがあるらしい。1963年、当時23歳2ヶ月17日だったジャック・ニクラスは5度目の出場で「マスターズ」を初制覇し、当時の大会最年少優勝記録を更新した。その17年後、1980年に優勝したのはスペインのセベ・バレステロスで、このとき彼は23歳4日で、ニクラスの最年少記録を更新した。さらに17年後の1997年、タイガー・ウッズが2位に12打差をつける圧勝で「マスターズ」の最年少優勝記録(21歳3ヶ月14日)を塗り替えウッズ時代が始まった。今年はそれから17年後の2014年だったので、もしも20歳のジョーダン・スピースが優勝していたらこの法則が延命したので、その話題でも注目が集まっていたが、残念ながら3打及ばなかった。

日本でも、先週の熊本でのバンテリン・レディースではアマチュアで15歳9ヶ月の勝みなみ選手が優勝して話題となった。インタビューでの受け答えも15歳とは思えない堂々たる貫録で、今後の世界に向けた活躍が楽しみな新人だ。

どの世界でも若手の台頭、世代交代というのはエキサイティングな瞬間だ。今月はちまたに新人が溢れる月でもある。街中で着慣れないスーツに身を包んだ新入社員らしい集団に出会うと、こちらも社会人になりたての頃を思い出してとても新鮮な気持ちになり、新たなエネルギーが沸き立つように感じる。ビジネスの世界においても、グローバルに活躍する若い起業家やビジネスマンから多くの新鮮で頼もしい話題をどんどん提供して欲しいものだ。

2014年4月10日木曜日

桜の不思議な力

東京では今年もあっという間に桜(ソメイヨシノ)の時期が終わってしまいました。

毎年思うのですが、桜というのは実に不思議な植物です。一年のうちにたった一度だけごく限られた短い時間に限って華やかな花を咲かせて、その後はさっと散ってしまいます。花を付けている間は、我々を前向きで元気な気分に高揚させてくれ、生命力を限りなく高めてくれるような気がします。また、花が散るときには人生のはかなさとも重ねあわせて感傷的な気分もたっぷりと味わわせてくれます。葬儀の時のお坊さんの講和の中でも「散る桜 残る桜も 散る桜」という良寛の名句がよく引用されます。生命の輝きとはかなさをこの一句の中で三度も「桜」を使うことによって余すところなく表現し尽くしているように感じます。

毎年、桜の開花を待ち焦がれ、開花と共にお祭り騒ぎをして、散る桜を見ながら人生のはかなさを思う、、、こんな植物は桜以外にはなかなか思いつきませんし、このような植物を愛でる習慣のある日本人はとても幸せだと思います。さらに付け加えると、桜は、少なくとも一年で3回我々を楽しませてくれます。花が散った後の新緑の美しさは格別ですし、秋になると紅葉が見事です。

日本の文化はこの桜という植物無しでは考えられませんが、これからも末永くこの桜という植物を大切にしてしていきながら、海外の人達にもこの素晴らしさを広く伝えて行きたいものです。

2014年3月28日金曜日

うめきた未来会議MIQS02

先週末、2日間に渡ってグランフロント大阪で開催されたうめきた未来会議MIQSの2回目にご招待いただきました。昨年の第一回目ではキーノートスピーカーとして登壇したのですが、今回は、初日にコメンテーターとしてご協力しました。

改めて思ったのは、日本には新進気鋭の若者からベテランのトップランナーまで、実にユニークでクリエイティブなチャレンジをしている人達が大勢いる、ということでした。さらにそのような人達が自分の取り組みについて世に広く伝える場というものが本当に重要であると思いました。

どんなに凄いことを考えたり実行していても、それが広く伝わっていかなければやはり「人知れず」ということになってしまって、世の中を変える、というところにまではなかなか行きつかないと思いますが、広く伝わることによって、賛同者や支援者や協力者の輪がどんどん広がって、大きなうねりとなっていくのではないかと思います。

また、皆さん大変に活発でフットワークが抜群によく、創造力というものは行動力によって開花する、ということもあらためて強く思いました。何かに行き詰っても、決してあきらめずに行動しながら解決して行くスタンスが全体的に共通していました。リーンスタートアップ的なアプローチについて話をされていたスピーカーの一人が、「1000回の失敗を恐れない」と語っていたのも印象的でした。

関西版TEDともいえるこのMIQSのようなイベントは大切にしていかねばならないと思います。このような活動をスタートさせた毎日放送、グランフロント大阪、ナレッジキャピタルの皆様には心から敬意を表すると共に、このイベントが継続し発展していくことを願っております。

2014年3月16日日曜日

ネットでの総攻撃狂奏曲

今回の、twitterで始まった騒動では、私は「ネットで勝手に個人情報を晒した極悪人」、ということでほぼ結論が出たようですが、そういう結論が導き出された過程が私の認識とは随分違うようなので、私自身の見解を述べておきたいと思います。なお、これは、日頃お世話になったり、私を信じて期待していただいている方々へのメッセージであり、私を極悪人と断定されているまったく見ず知らずの方々への弁明ではありません。私を極悪人と断定されるのはそれぞれの皆さんの自由なご見解ですから、それはそれで謙虚に受け止めさせていただきたいと思いますし、それに対してどうこう申し上げるつもりはありません。

まず、今回のきっかけは、先日のソニーの業績下方修正やVAIO売却に関して、ある雑誌社から電話取材を受けたことに始まります。そこでの私のコメントがその雑誌の記事で引用され、それを見た相手の方が、「辻野氏なんてウォークマンを潰した張本人だろう」とtwitterでつぶやいたことがきっかけとなっています。その後の私の乱暴な対応は決して褒められたものではありませんが、私にしてみれば、きっかけは、ネット上で公然と私の実名を名指しして一方的な批判を行う、という相手のこの行為にこそあったと思っています。私個人にとっては、信用棄損とも、名誉棄損とも感じる行為でした。喧嘩を売ったのは私の方だ、という指摘も多くいただきましたが、敢えて言えば、売られた喧嘩を買った、というのが正確なところでしょう。何の落ち度もない人に私がいきなり言いがかりをつけたわけではありません。

「公人、有名人なんだから批判はあたりまえ、いちいち取り合うな」というご指摘も多くいただき、それはまったくその通りだと思いますし私の普段の対応でもあります。今回ももっと上手に大人としての対応をすることだっていくらでもできたでしょう。しかし、私の率直な思いは以下です。
  1. 公人だからといって、一方的な個人攻撃にいつも黙って耐えるのが本当に正しい態度だろうか?
  2. 人には黙って看過してはいけないこともある。軽率に言ってはいけない一言というものもある。
  3. ネットでの傍若無人、罵詈雑言、誹謗中傷はもはや当たり前のようになっているが、日頃目に余るものがあり傷ついている人達も多い。このような行為が匿名によって助長されている面は否めない。
ネットニュースなどでは、やり取りの経緯が大幅に端折ってまとめられており、その後、私が怒りにまかせていきなり相手の実名を晒した、という ような伝えられ方になっていますが、少し違います。実際には、まず、「お前どこの誰なんだよ」といった乱暴な言葉で絡んだことについてはお詫びをして、しばらく相手の方と忍耐強く誠意をもってやり取りをさせていただきました。しかし、残念ながら、相手の理解は得られず、執拗な攻撃が止むことはありませんでした。その後、忙しくてtwitterから遠ざかっていましたが、しばらくして戻ってみると、その方からの攻撃はまだ延々と続いていて周囲の人も巻き込んだプチ炎上のようになっていました。このあたりの相手からの数々の辛辣なコメントはすべてその後ご当人によって削除されてしまっています。

私が論争に応じなかった、という指摘もありますが、私としてはきちんと誠意をもってお応えをさせていただきました。twitterで延々と不毛な論争に付き合わねばならない義務があるわけでもありません。

結果として、やむなく、この執拗な攻撃を止める手段を探そうと思い、相手がどのような方なのかを自分で調べてみました。ここでも、何か私が悪どい手を使って個人名を入手したのではないか、等と大袈裟に取り沙汰されていますが、 単純に相手やそのお仲間が当時ネットにご自分で公開していた情報を手掛かりにして推定しただけで、何か特別な手段を使ったわけではありません。

結論として、相手がソニーの現役社員であることがわかり、今回の行動をとりました。ソニーは今、会社の危機なのに、その現役社員がtwitterでの個人攻撃にうつつを抜かしているようなスタンスに苦言を呈したいと思いましたし、他方では、私なりにその人の現場での苦悩がわかるような気もしましたので、ソニーの凋落に関して自分が日頃感じていることをこの事件に絡めてまとめておこうと思いました。それが現代ビジネスに寄稿したメッセージになります。

私の行為については、実名を暴いたとか個人情報を晒したとか、かなり感情的に誇張して捉えられているように感じています。  上記の通り、ソニーの社員であることは当人やお仲間がご自身で発信していた情報から簡単にわかりましたし、私は延々と続く匿名での個人攻撃をやめていただきたい、という意図から、既に公開されていた情報から知ることのできたその方のお名前でメッセージを投げてみただけです。自分が執拗に受け続けていた信用棄損や名誉棄損の被害拡大を止めたくて、ひとつの手段として行ったものですし、上記のような思いもあって、古巣の仲間に声を掛けるという意図でやりました。それ以上の悪意があってやったわけではありません。もちろん、後から思えば、もっと上手い手段ややり方はいくらでもあったと思います。

結局、既にtwitter上では、私が名前で語りかけたことによって相手は私への個人攻撃をやめて問題は一旦収束していました。 それを少し時間が経ってから、無理やり掘り起こして、今回の大炎上を面白がって煽る仕掛けをしたネットメディアの人達や、それに群がって来て、無責任に私や相手の方に、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせかけてきた人達の方こそ、私はよほど悪辣だと思います。

今回の事を通じて、もはや、私がウォークマンを潰したのかどうかについての世間様の評価など、どうでもいいという気持ちになりました。既に8年以上も前のことですし、私の22年間のソニー在籍の一番最後の仕事としてウォークマンを担当した事は事実です。 ソニーを辞める直前の最後の仕事が、当時既に潰れかけていたウォークマンの面倒を見る、という巡りあわせとなり、何とか建て直そうとして全身全霊全力で取り組みました。残念ながらいい結果を残すことは出来ませんでしたが、ソニーの凋落を食い止めたい、という一心でその時にとった行動には何一つ恥じるものはありません。結果を出せなかった責任を取ってソニーも辞めました。世間様にそれをどのように評価されようが、すべてありがたく受け入れればいいだけの話です。ソニーの現在の危機的な状況は当時の比ではありませんので、余計なおせっかいですが、ソニー関連の皆様にはこの危機を正面から見据えて、前を向いて乗り切っていただきたいと切に願っています。

このたびの騒動では、私の経歴からグーグルにもとばっちりが行ってしまったことはまことに遺憾に思っています。私は既にグーグルを辞めていますし、もとよりグーグルにはまったく何の関係もない話です。

以上、まだまだ言葉足らずかもしれませんが、私がこの一週間ほど、ネットでの総攻撃を受けて思ったことをまとめさせていただきました。過去の私のtweetを削除しないことに関しての指摘などもありますが、それは自分の発言や行動は全て自分の履歴であって、拭い去ることは出来ない、という考えに基づくものであり、相手の方に意地悪をしているつもりではありません。また、こちらのブログにいただいたご指摘やご批判もすべて公開しております。

以上がお騒がせした件についての私なりの総括です。 次回からはもう少し言動に注意して余裕のある対応が出来るように精進したいと思います。

2014年2月28日金曜日

先人が切り開いたソニー・スピリットの復活を心から祈る――ソニーの病巣の深さを改めて考えた

2月24日に講談社の現代ビジネスブレイブのメルマガに寄稿したものの転載です

■ Face it、逃げず、正面から向き合うということ
個人名が公になっている人は、ネットなどで突然思わぬ攻撃を受けることがあると思うが、私もツイッターなどで、「これはいくらなんでもひどい」と感じる一方的な攻撃を受けることがある。先日も、見ず知らずの人からツイッター上で個人攻撃を受けたことに端を発して、プチ炎上に巻き込まれたので、今回はその経験から感じたことをまとめておきたいと思う。それは、今や凋落企業の代名詞のようになってしまったわが古巣でもあるソニーに関わる話だ。折しも、『週刊現代』や、この『現代ビジネス』でも特集記事が出ているので(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38460)、それと合わせて読んでいただくと洞察も深まると思う。

■ 実名を言わない匿名者は最初から逃げている

別に今に始まったことではないが、この手の一方的な攻撃は、たいがい的外れなことが多く、大抵の場合は黙殺するのだが、たまにこちらも虫の居所が悪い時など、あえて乱暴な言葉を使って反撃を試みることがある。相手の出方や周囲の反応を見るためだ。そうすると、今度はまた寄ってたかって「聖人君子」や「正義の味方」が続々と登場してきて、さらにさまざまな攻撃に晒され、いわゆる炎上といったことになることも多い。それでこちらもバカバカしくなって離脱すると、今度は「逃げた」とかなんだとか、散々な罵詈雑言を浴びせ掛けられる。

「逃げた」と言われても、こちらは、もともと公人として実名で発言し行動しているわけだから、どこに逃げも隠れもしようがないし、そもそも、このようにネットでありったけの罵詈雑言を浴びせ掛けてくる人たちはそのほとんどが匿名で、この人たちこそ最初から逃げ隠れしているのだから、その言い分にはそれこそ笑ってしまう。

この連中は一度絡んでくるとどこまでも執拗なことが多く、一方的で自分勝手な思い込みに基づいた解釈でいかにも正論のようなもっともらしい理屈をこねくり回して相手を攻め続ける。そして言うだけ言って気が済むと、今度はご丁寧に一連のやり取りのまとめサイトをあたかも自分達の勝利宣言のごとく作り上げ、意気揚々としている。繰り返しになるが、このようなことをする人たちには匿名が多い。

■ ツイッターは匿名を保証したコミュニケーション手段ではない
今回も、このパターンで攻防が始まった。最初に絡んできた匿名者に一応名乗るように言ってみたが当然名乗るはずもない。匿名をいいことに周囲も巻き込んで言いたい放題が延々と続くので、彼やその仲間が自分たちでネット上に公開している情報から本人を特定したうえで実名で語りかけてみた。

すると、そのとたんに態度が急変、謝罪して来たり、実名を許可なく晒すのはtwitterの規約違反だから削除して欲しい、などと懇願して来た。そして、こちらがそれに応じないでいると、挙句の果てには自分のアカウントを非公開にしてしまった。それこそ、完全な「逃げ」である。

このプチ炎上を観察していた高広伯彦氏(株スケダチ、株マーケティングエンジン)は、このありさまを、「匿名の間は強気の姿勢で相手をギブアップさせたかのようなこと言ってて、実名バレして以降は本人がギブアップの姿勢を見せてるって。。。情けないね」と書き込んでいる。

実は、私が突き止めたこのグループの人たちは、現役のソニー在籍者であったり、ソニーで働いた経験のある人たちであった。私の真意としては、ソニー関係者だということがわかったので急に仲間意識が芽生えて、そういう後ろ向きなことに時間を使うのはやめて、ソニー・スピリットの原点に立ち返って未来や前を向いて進んだらどうか?と激励したい思いであえて実名で語りかけたまでだった。

しかし、その思いはまったく通じずに、ツイッターがあたかも匿名を保証しているコミュニケーション手段とでも勘違いしているのか、実名を晒された、ということでパニック状態になっているようであった。

■ 陰口好きは日本の企業文化?

本来、直接向かい合って、「自分ならこうする」とか、「こうしたはずだ」という中身のある批判をするのであれば、それがどういうものであれ、まず受け入れて進むことができるのであろうが、残念ながら、世の中、そういう批判者はほとんどいない。自分はその立場にないとか、身分がちがうとか、オレの問題ではない、という具合で、厄介な人との対話は持ちにくい。向かい合う方法がないから、こちらには何とも「嫌な」気持ちだけが残る。

過去の経験からも、日本人は、陰で、あるいは当人のいないところで、相手を誹謗中傷するのが本当に好きな人種だと思う。これはもう、日本の企業文化といってもよい位ではないだろうか。直接は言わない、言うことは聞かない、守らない。でも、やたら、理屈っぽく、陰では持論や自身の正当性を主張する。

こういう態度はとても残念だが、そんな人が多いのは事実だと思う。しかしながら、こういう人たちとも、直接会って一対一で対面して話をすると、それなりに話ができる人も少なくない。今回の攻防においても、感じたのは、「あなたはエライ人、有名人、こっちは無名、立場が違う」、というルサンチマン的正当性である。しかし、そういうルサンチマンは、実は、自分はこれだけやっているのに、認められていないとか、そういう不満に根差している場合も多いのではないだろうか。

そうだとすれば、そこで私が想像するのは、やはり今のソニーの上層部や過去のソニーの上層部全般に対するやり場のない不満、鬱憤、怒りなどが、ソニーの現場のいたるところに渦巻いていて、そういうものが、こういう形で出てきてしまっているのではないだろうか、ということである。組織が健全であれば、こういう人たちに対して、「あなたなら、どうするか」「もし、あなたが、現場の責任者ならば、こうすればいいのではないか」というふうに大所高所から導いてあげる人がもっと内部にいないといけない。しかし、現状はそうはなっていないのであろう。

■ 正面から向き合うことにしか答えはない

振り返ってみれば、ソニーのリストラは、もうハワード・ストリンガー時代から延々と10年の単位で毎年のように続いていて、いわばその「慢性的リストラ文化」が唯一ハワードがソニーに残したものとさえ言えるのではないかと思う。今の平井体制になってからも、エレキの復活を声高に唱えながら、いつまでもオオカミ少年状態で、リストラや業績の下方修正は一向に収まらない。

無責任体質が染みついた、こんなどん底まで荒み切った状況の中では、現場にモチベーションを維持しろ、と言ってみたところでとてもそれどころではない。今のソニーの内部では、おそらくいたるところでモラルハザードが蔓延しているのではないかと想像する。リストラの慢性化に伴うモラルハザードの慢性化である。

今回、最初に私に絡んできた人や、その人の仲間と思われる人たちも、恐らく現場マネジメントの一員として、日々責任ある仕事をしている人たちなのだと思う。自分がどんなに懸命に頑張っても、自分の力の及ばないところでどうにもならない無力感に日々さいなまれているのかもしれない。

私もソニー時代に、カンパニープレジデントという立場を数年経験したが、経営層からはワンランク下のいわば前線の青年将校クラスのポジションであり、現場の悲哀は痛いほどよくわかる。困難な境遇や理不尽な状況の中でも最善を尽くし、自らのインテグリティを尊重して行動するというのは、並大抵のことではない。どこまでも孤独で重たい体験であり、そのような修羅場を経験しないと絶対にわからない世界でもある。

結論として、今回のツイッターでのプチ炎上から、私は改めて今のソニーが抱える病巣の根の深さを教えられた思いであるが、ソニーの凋落を加速する一方の無能な現経営陣へのやるせない怒りを新たにする一方で、現場の人達への深い同情を禁じ得ない。すでに8年も前にソニーを離れた自分にはもはや何の関わりもないことではあるが、いまだに何か自分にできることはないものだろうか、と考え込んでしまうのである。

もしも、一言だけ、助言を許されるのであれば、やはり、「問題や現状に正面から向き合う以外に答えはない」ということなのかと思う。どんなことでも、自分自身で、まず課題にも相手にも「面と向き合うこと」以外に方法はない。

英語なら、face it。人に対してならface to face。思うに、そういうモラルがどんどん衰退しているように見える。小さいことを厳しく攻め立てるばかりで、自ら向き合う姿勢を重んじなくなっているというか。上の人がそうであればなおさらだ。繰り返すが、現実や直接の相手に対して、面と向かい合うことなしに、何かが変ったり起こったりするということはない。

■ 他人事などない、すべては自分事

目に見えることや、聞こえること、人の話や体験を、「自分のこととして考える」ことが「学ぶ」ための基本姿勢であると思う。実はこの世のすべての事象はつながっていて、他人事なんていうものはない。インターネットの時代になって、ますますその思いを強くしている。

私が心から敬愛する友人から聞いた話であるが、スウェーデンの中学校の社会の教科書のタイトルには、「You own community」と書かれていて、教科書の冒頭に、「学校の任務は、生徒ひとりひとりが、みずからの将来を築くという困難な仕事に向き合う導きをすること」だと明記されているそうだ。何事も、自分事として考えることが出来なければ、学ぶことなどできない、ということなのだと思う。

今回の一件でも思うが、今のソニーの人たちに求められていることは、経営層から現場の人に至るまで、「悪いのは今までの経営陣や、今の社長や、上司や部下や、ビジネス環境や、ルールなんだし、ま、自分には特にやれることないんだけどね…」という他人事的で他責や他罰の態度を完全に捨て去り、一切の苦しみや厳しい現実から絶対に逃げないで、自分事としてそれらに正面から対峙し、そこに果敢に挑んでいく勇気や態度なのではないだろうか?

それこそが井深さんや盛田さんが教えてくれたソニー・スピリットの神髄でもあると思う。

2月24日に講談社の現代ビジネスブレイブのメルマガに寄稿したものの転載です

2014年2月22日土曜日

鈍感力を鍛える、ということ

個人名が公になっている人は、ネットなどで突然思わぬ攻撃を受けることがあると思うが、私もtwitterなどで、「これはいくらなんでもひどい」と感じる一方的な攻撃を受けることがある。大抵の場合は黙殺するのだが、たまにこちらも虫の居所が悪い時など、敢えて乱暴な言葉を使って反撃を試みることもある。そうすると、今度はまた寄ってたかって「聖人君子」や「正義の味方」が次々と登場してきて、更にさまざまな攻撃に晒されることになる。いわゆる炎上というやつだ。それでこちらもバカバカしくなって離脱すると、今度は「逃げた」とか、更に散々な罵詈雑言を浴びせ掛けられる。

こちらは、もともと公人として実名を晒しているわけだから、どこに逃げも隠れもしようがないし、そもそも、このようにネットでありったけの罵詈雑言を浴びせ掛けてくる人達は例外なく匿名で、この人達こそ最初から逃げ隠れしている人達なのであるからそれこそ笑ってしまう。そして、この人達は、自分勝手な思い込みに基づいた解釈で言うだけ言って気が済むと、場合によってはご丁寧に一連のやり取りのまとめサイトなどを作り上げ、その後、徐々に収束していく。まるで自分達が勝ち誇ったかのように勘違いしているのだろう。

それにしても、いきなり公衆の面前に引きずり出されてバッシングされる側にしてみれば、たまったものではない。しかし結論は、実名を晒している人は、どんな理不尽な攻撃を受けても、匿名の人達からの執拗な攻撃からは逃げようがないのであるから、結局さまざまやってみても、時間の無駄なのである。

だから最後に思うのは、坂本龍馬の言葉、「世の人は我を何とも言わば言え 我が成す事は我のみぞ知る」なのであり、自分の鈍感力を鍛えるしかない、ということでもある。そしてこれからも、実名で正々堂々と自分の信念に基づいた行動と発言を続けて行こうという決意を新たにするのである。

2014年2月8日土曜日

消去法で決めるしかないのが悲しい今回の都知事選

ポリタスへの寄稿をこちらにも転載しておきます)

ポリタス頑張れ!
今回、津田さんからこちらへの寄稿のお声掛けをいただき、喜んで引き受けました。理由は二つで、一つ目は、かねて津田さんのようなまったく新しいタイプのフリーランスのジャーナリスト(この言葉が適切かどうかは別として)の活動に大いなる可能性を感じており、必ず今後の日本のさまざまな課題を解決する大きな力になっていく、と感じているから、ということと、二つ目の理由は、盛り上がらない都知事選挙に都民や国民の関心を少しでも向けねばならない、という危機意識からです。したがって、今回の都知事選挙に関して言えば、投票行為そのものよりも、津田さんのような方がこのような呼び掛けを行い、それにさまざまな立場の人達が呼応して、そのやり取りを大勢の人達がネットで見る、ということそのものが重要なのだと思います。

候補者の顔ぶれ
前置きが長くなりましたが、今回の候補者の顔ぶれを見ての第一印象は、とにかく、これでは盛り上がらないのも仕方がない、というような候補者しかいないことです。その中で、お会いしたことはありませんが、田母神俊雄氏の言動には関心を持ってきました。この方は日本人として一本筋の通った方だ、という印象を持っていますが、しかし、政治や経済に関しては全くの素人である軍人ですから、2020年のオリンピックを控えた大切な時期の都政を任せるにはやはりリスクが大きい。政治も経済もプロの仕事であることを考えると、選択肢としては、結局、舛添要一氏か細川護煕氏かの選択肢しかないと思いますが、巷では舛添要一氏の圧勝が確実視されています。

クラウドファンディングで政治資金集め
泡沫候補というと怒られますが、今回、その中での話題は何といっても家入一真氏でしょうね。ご本人も当選するとはまったく思っていないでしょうし、インターネッ党などと、どこまで本気なのか冗談なのかもわかりません。立候補の目的も、そもそも政治に関心があるのかさえもわかりませんが、ネットを駆使し、ホリエモンの応援も得て、ニートの人達など、他の候補にはまったくないユニークな目線を代表した存在であるのは間違いありません。東京都にはいろんな人達が集まっているわけですから、「標準的な人達」が拾えない声や見えない課題をもっと主張して、新たな論点を提示してくれると選挙戦も少しは盛り上がるのに、と思いますが、あまりにも時間がなさ過ぎるのが残念です。ご自分でもキャンプファイヤーというクラウドファンディングの事業を手掛けていますが、あえてシューティングスターという別のクラウドファンディングを使って選挙資金を集めたりもしています。こういう着想はやはり素晴らしいと思いますし選挙の常識に一石を投じるアクションとして貴重です。今回の選挙で彼が想定以上の支持を集めたりする現象が起きると面白いな、と心密かに応援しています。年齢的にも、上記の3名と宇都宮健児氏がすべて65歳以上のご高齢なのに対して、35歳と圧倒的に若い存在でもあります。

ちなみに、グーグル検索の累計件数は、2月1日の夜の時点で、「舛添要一」が526万 件、「細川護煕」が268万件、「田母神俊雄」が何と544万件、そして「宇都宮健児」は197万件です。「家入一真」も159万件と健闘しています。グーグルトレンドでの過去7日間の人気度は、やはり2月1日の夜の時点で、家入氏、細川氏、舛添氏、田母神氏、宇都宮氏の順になっています。

東京都のトップの重み
ところで、東京というのは本当に凄い都市だと思います。パリでもロンドンでもニューヨークでも、私の知る限りでは、世界中どこに行っても、東京ほど、公共交通機関などの都市インフラが整備され、空気が綺麗でゴミもなく、食事もおいしく、安全な都市には出会ったことがありません。今や、大抵の公衆便所にすらウォシュレットも完備されています。1300万人もの人が住んでいながら、毎日毎日、分単位の過密スケジュールの中で大きな事故も遅延もなしに同時に多方向に人が移動できる都市、というのは驚異的です。都知事選挙では、国家権力とも渡り合えるだけの力すら持つこれだけの大都市のトップを直接民主主義で選ぶわけですし、特に今回は、2020年に向けてこの大都市を防災やバリアフリーなどの様々な観点でリニューアルしていく為の明確なグランドビジョンを描き、それを実行できる人を選ばねばなりません。本来であればもっともっと盛り上がるべきですし、それにふさわしい候補者を我々は厳選しなければなりませんが、そのような流れにならずに白けてしまうのは、今回の都知事選が猪瀬氏のスキャンダルによる辞任に起因していることと、都知事選挙の仕組みに問題があるからだと思います。

都知事にふさわしい候補者のスペックとは?
アベノミクスにより、ようやく長いデフレや経済不況の暗黒から抜け出る兆しが強くなってきた中、決してこの勢いに水を差すことなく、東京を更に進化させて世界のモデルとなる未来都市を構築していく為には、高いクリエイティビティと共に強い実行力が求められますし、経済や先端技術にも明るいことが必要です。本来であれば、政治家や学者よりも、強い起業家・事業家タイプのスペックの人が候補者としては最もふさわしいのではないかと思います。残念ながら、今回の候補者の中にはそのようなスペックの人がいないので、どうしても消去法で選んでいくしかない、というところが残念な現実というところです。

2014年2月1日土曜日

大阪 冬の起業応援フェスタ

先日、大阪産業創造館で開催された「冬の起業応援フェスタ」というイベントに協力しました。キーノートスピーチやパネルへ参加したのですが、あらためて関西の皆さんの熱気を感じることが出来ました。昨年の7月から大阪のグランフロント・ナレッジサロンを利用するようになってから、関西の方々との出会いの機会が増え、弊社のクラウドファンディングサイトのCOUNTDOWNへも関西の方々のチャレンジ・エントリーが続いています。

様々な課題も山積ですが、一方で、今ほどチャンスに恵まれた時代もない、と実感しています。コンピュータのテクノロジーが素晴らしく発達したお陰で、誰もがスマホ一台あれば低コストでその限りない恩恵にあずかれ、また、インターネットに繋がった世界中の人達と時間差無しに交流も出来れば協業も出来ます。こんな時代に古いスタイルや従来の延長線上にとどまって保守的な生き方に閉じこもっているのはもったいないと思います。もちろん、冒険やチャレンジに向いている人もいれば、向いていない人もいるので、誰彼かまわずやみくもにチャレンジや起業を煽るのはナンセンスな話ですが、冒険好きで、腹が据わっていて、忍耐力があり、我こそは!と思う人は、どんどん新しいことに挑戦すれば、失敗を重ねながらも必ず新しい道を開拓していくことが出来ると思います。そして、そんな人達の絶対数が増えて行けば、少子高齢化といわれ成熟国家と言われるようになった我が国も自然と元気になっていくのではないでしょうか。

それと、今回感じたのは、大阪弁のパワーです。パネルのファシリテーターの方がコテコテの大阪弁で絶妙の進行をしてくれたお陰で会場とも一体となって大いに盛り上がりました。ちょうど翌朝のTBS系列のTV番組「がっちりマンデー」を見ていたら、「九州通販王国」というテーマで、博多弁や鹿児島弁でのトークをセールスアップに繋げている複数の企業を取り上げていましたが、標準語では絶対に出せないニュアンスを出せる大阪弁を始めとする方言の力というのもあなどれないと実感しました。

ところで、特許庁のホームページを見ると、工業所有権制度が創設百周年を迎えた昭和60年4月18日付で、我が国の十大発明家、という方々が登録してあり、残念ながら、その後の更新がないので、古い方々ばかりなのですが、大阪にゆかりの方が二名います(邦文タイプライターの杉本京太氏、八木アンテナの八木秀次氏)。また、川端康成氏や江崎玲於奈氏などのノーベル賞受賞者や松下幸之助氏などの実業家、安藤忠雄氏等の世界的に活躍する現役の建築家も大阪になじみの深い方々です。ですから、私は大阪に行くといつも大阪発で日本や世界を変えることはいくらでも出来る、と申し上げているのですが、それぞれの地域が輩出した世界に活躍する偉人も数々いらっしゃるでしょうから、そういう人達の生きざまに学ぶ、というのもいいかもしれませんね。

今回もさまざまな素晴らしい方々との出会いに恵まれた実りの多い機会となりました。主催された大阪産業創造館の皆様や、協力された起業家の方々、また会場にお集まりいただいた聴衆の皆様との出会いに感謝しています。ありがとうございました。
 

左から、本田勝裕氏、岡田充弘氏、辻野、小間裕康氏

2014年1月15日水曜日

2014年 年頭のご挨拶&Sony CSL訪問

新年あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりまして誠にありがとうございました。本年もよろしく御願い致します。

先週、義足の開発で高名な遠藤謙さんをソニーコンピューターサイエンスラボ(CSL)に訪ねました。

遠藤さんはロボット開発の専門家ですが、友人の方が病気で足を切断されたことをきっかけに義足の開発に転じた日本が誇る異才の一人です。彼のテーマはロボット技術を用いた身体能力の拡張ということだそうで、将来的には障害を持つ人のハンディキャップをロボット技術の力によって逆転させるという発想で義足の開発に取り組んでいます。まさにサイボーグの世界を現実にするような最先端の義足の開発を行っており、2020年の東京でのパラリンピックに照準を合わせた義足開発やアスリートの育成にも取り組んでいます。また、一方で、インドなどで現地生産による低コストの義足開発などにも取り組んでいて、足に障害のある世界中の人達にとってのまさに希望の星でもあります。

CSLにはソニーを退社してから初めてお邪魔したのですが、遠藤さんが他の研究者の皆さんとも引き合わせてくれました。若く優秀な研究者の皆さんがそれぞれのテーマに非常に生き生きと取り組んでいる姿は昔とちっとも変らず、なんだかとっても嬉しくなりました。

新年早々気持ちもとてもリフレッシュされた楽しい訪問となりました。歓迎してくれた遠藤さんやソニーCSLの皆さんに感謝致します。