2013年2月27日水曜日

決めて行動する国になるために

私は別に右寄りとか国粋主義者とかいうことではありませんが、日本が真の独立国家として一人前の国になるためにはやはり日本人自らの手で憲法を書き換える必要があるのだろうと思っています。現行の日本国憲法は平和憲法などと呼ばれていますが、もともとは太平洋戦争後に占領軍によって草稿されたいわゆる「マッカーサー草案」がもととなっており、第九条の裏には、日本復活に対する脅威から、二度と軍事力を持って立ち上がれない国にしてしまおう、という当時の戦勝国の本音や思惑が透けて見えるものです。また、いずれにしても、この憲法は1947年に施行されてから既に65年余を経ていますが一度も改正されていません。上記の思惑から改正手続きが困難な規定となっているからです。

しかし、国の憲法とはコンピューターのOSのようなものです。時代はどんどん変わっていて、まさにコンピューターの世界もパーソナルコンピューターの時代からクラウドコンピューターの時代へと遷り、マイクロソフトのWindowsが全盛だった時代が終わって、よりクラウドに即したAndroidやChrome OSやiOSの時代に代わっています。そう考えれば、国のOSである憲法が時代に合わせて修正されていくべきものであることはむしろ当然です。同じ敗戦国のドイツは、憲法にあたるドイツ連邦共和国基本法を東西ドイツ統一以前に35回、統一後に22回も改正しています。また、米国も合衆国憲法を戦後6回改定しています。まさに憲法とは生きているものであって時代と共に改正されていくのが自然なのです。

現在の日本国憲法は、「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」が三大要素といわれていてその精神は今後とも踏襲されるべき素晴らしいものであると思います。しかしながら、マッカーサーから「日本人の精神構造は12歳だ」と言われながら占領軍が主体的に起草したものから、日本人自らの手で時代に合わせて改定し、世界における日本国の責務を自己責任で再定義していくことはこれからの国家の主権と発展を考えると避けては通れないことです。

ちょうど一年前、東日本大震災から約一年たった2012年3月に被災地を訪れました。そこで私が見たものは、遅々として復興が進まず、瓦礫や廃車が積み重なり、倒壊した建物や押し流された船などがそのまま横たわる光景でした。震災は、まぎれもなく天災でありました。しかしながら、その復興が進まないことは人災です。復興が遅れているのは、これほどの非常事態においてすらスピードのあるデシジョンと行動が出来ない国になっているからです。 

政権が自民党に戻って被災地の復興が加速することを期待していますが、非常事態であっても大事なことを先送りして何も決められず、迅速な行動が取れなくなっているこの国のスタイルを根本から作り変えていくためには、やはりOSである憲法を自らの手で時代に合わせて見直していくことが原点になるのではないでしょうか。

2013年2月14日木曜日

起業家スーパーカンファレンス2013

三連休最終日の2月11日(月)に、品川で行われた起業家スーパーカンファレンス2013というイベントでの対談に呼ばれて行ってきました。ソニー時代にVAIO事業を立ち上げたとき以来の古いお付き合いのインテルジャパン初代社長の傳田信行さんとの対談でしたが、他に、KLabの真田哲弥さんや、Optの鉢嶺登さん、リブセンスの村上太一さん、タリーズコーヒーの創業者で参議院議員の松田広太さんなど、多彩な起業家の皆さんがお集まりでした。聴衆は就職を控えた学生さん達500名程でしたが、「日本の開業率を10%に引き上げる」というコンセプトに共鳴して参加しました。
 
このようなイベントに行くたびに思いますが、日本の若者は大人しくなったとか、草食系とか、いろいろと言われますが、休日を潰してこのようなイベントに集まってくる熱心な若者はたくさんいますし、就職よりも起業したいと思っている若者もたくさんいます。大切なことはこういう人達が本物の起業家として巣立って行くために、周囲の先輩達がどんなことでもサポートの労を惜しまない、ということだと思います。資金援助でも、ビジネスプランへのアドバイスでも、専門家の紹介でも、自分の経験談で参考になることでも、伝えるべきことを惜しみなく伝え、援助できることはどんなことでも手を差し伸べる、ということがとても大切だと思います。
 
何度も言いますが、昨年の世界銀行の調査では、起業のし易さ、という項目で日本は183か国中107位でした。この順位を上げて行くためには、資金提供のインフラ整備や規制緩和にとどまらず、チャレンジする人を応援する風土、チャレンジして失敗した人の再チャレンジを奨励する土壌を作って行くことが何より大切だと思います。自分自身も起業した事業を軌道に乗せるのに奔走する毎日ではありますが、若い人達を支援する活動には今後も出来る限り協力して行きたいと思っています。
 
それにしても久しぶりにお目に掛かった傳田さんは、長い間人工透析をしておられましたが、数年前に腎臓移植の手術をされ、その後、見違えるようにお元気になり、今年65歳を迎えられるということでしたが、すっかり若返られて、精力的に新しいことにもどんどん挑戦しているというお話しで大変に嬉しく思いました。