2011年9月19日月曜日

神子原村

過疎化が進み、65歳以上の高齢者が人口の50%以上を占め、そのまま放置しておくと消滅してしまう可能性の高い集落を限界集落という。2006年の国土交通省の調査によると、全国で限界集落は2643あり、1999年の調査と比べると284増加しているそうだ。

石川県羽咋市の神子原村(みこはらむら)もそんな限界集落の一つであった。 その集落の立て直しを年間予算わずか¥60万余りで託された高野さんという公務員の奮戦記をANAの機内ビデオで見た。フジテレビの報道2001の特集が元番組になっていたようだ。高野さんの奮戦記はあらゆるビジネスマンにとって大いに参考になるものだと感じたので、少し紹介しておく。

高野さんは、その仕事を受けるにあたって、一つだけ市長に条件を出した。一切の稟議を廃し、自分自身の決断で進めさせて欲しい、ということである。何事も稟議で決めるのが習わしの行政のしきたりを無視する非常識な要求だが、市長がその条件を受け入れることによって、高野さんの奮闘が始まることになる。

高野さんは、まず、村の若返りを図るために、村への移住者を募集した。空家になっている農家を移住希望者に安く貸し出すのだが、彼の戦略は、お願いして村に来てもらうのではなくて、非常に高飛車なスタイルを取ったそうだ。「来たければ、どうぞ、ただし、村民が面接試験を行うのでそれに合格した場合にのみ移住を受け入れる」、というプログラムを考案、実行した。結果的に応募者が殺到し、村民の厳しい面接をパスして移植した人達の定住率は100%となったそうだ。

次に、一世帯当たり年間¥80万そこそこの年収しかなくて経済的にやっていけない状態になっていたのを、地元米のブランディングによって復活させた。従来、この地では山からのきれいな水で高品質なコシヒカリを生産していたそうだが、生産したコメは総量をJAに買い取ってもらっていた。彼は、この地の米はもっとずっと価値があり高く売れるはずだと考えて、JAに納めることを止めて村民の手でブランディングし、直接売って行くことを提案した。しかしながら、村民からは猛反対にあい、そんなことが出来るものなら自分でやってみろ、と言われる。結果的に、彼は「神子原村」という地名にあやかり(the hilands where the son of God dwells)ローマ法王に直接「神子原米」を食べてみてもらえないか、と手紙を書く。無しのつぶてであきらめかけていた頃、突然バチカン大使館から電話があり、人口800のバチカン市と人口500の神子原村で親善の絆を結ぼう、ということで、神子原米をローマ法王に献上することなった。この話が大きく報道されて、「神子原米」はローマ法王に献上された米として一躍有名ブランドとなり高値であっという間に売り切れてしまう今では「幻の米」とも言われる銘柄になったという。

次に、高野さんはこの「神子原米」で日本酒を作り、やはり世界ブランドにすることを考えた。世界中で受け入れられる酒としてはやはりワインということで、ワイン酵母で日本酒を創る、という独創的なチャレンジを行い、これも見事に大ヒットして、「ワインのような日本酒」として今ではアラン・デュカスでも数量限定で供されるトップクラスの高級銘柄になったとか。

現在、これも高野さんの働き掛けで、村に株式会社を作り、上記ブランド米やブランド酒の販売を法人として手掛けるようになり、村は活気を取り戻して限界集落から見事に抜け出したそうだ。

高野さんの素晴らしいところは、①補助金やJA依存を断ち切って、村の自主再建を目指したこと、②最初からブランディングの着想がグローバルであること、そして、③私利私欲ではなくて、一公務員として、無心で村の再建に身を呈したこと(無功徳)、など、数限りないが、最後にはそんな高野さんの熱意が、村民の共感とやる気をはぐくみ、滅びゆく村を自ら救う奇跡を実現したのだ。

こういう話に触れると、不可能なんかない、何事も成せばなるものだ、ということを改めて感じ、非常に勇気づけられる。