2011年4月30日土曜日

新緑

桜の時期もあっという間に終わり、綺麗な新緑の時期。一年で一番爽やかで気持ちのいい季節だ。

2011年4月29日金曜日

二人の高校生からのアプローチ


最近、会社宛てに二人の高校生から連絡をもらった。

一人は長野県に住んでいる高校一年生で、拙著に共感した、ということで手紙をくれた。まさか、高校一年生が私の本を読んで手紙をくれるなどということはまったく想定していなかったが、NPO的な活動にも主体的に関わっている積極的な少年のようだ。

もう一人は島根県に住んでいる高校生で、会社の人材募集の掲示に対して、「高校生でも雇う気はありますか?」と挑戦的な文面で問い合わせて来た後に、手書きのビジネス提案を送ってくれた。彼からはこの5月連休中に無理して上京してくるので会って欲しい、と再度連絡が来た。お土産にまた別のビジネス提案を持ってきてくれるそうだ。

「うめけん」も一度オフィスに遊びに来てくれたが、こういう元気のいい若者達からアプローチされると、日本の未来がとても明るく思えてくる。日本の将来を悲観する必要などどこにもないのだ。

2011年4月24日日曜日

大賀さんを偲ぶ

大賀典雄さんが亡くなった。

大賀さんとの初対面は、入社して間もない頃のある週末、北の丸公園の科学技術館で行われていた展示会に行った時に、大賀さんが何人かの取り巻きの人達とその展示会を閲覧しているところに偶然ばったり出くわしたのが最初だった。自分が入社した会社の社長が目の前に居るのに挨拶しない手はないと思い、思い切って、大賀さん達の一団の前に厚かましく進み出て行き、「ソニーの情報処理研究所に勤務している辻野と申します。」と挨拶をして握手を求めた。大賀さんは「あぁ、そう。頑張りなさい」と握手に応じてくれた。

独特の存在感とオーラのある人だった。いつも威風堂々としていて、 「自信満々居士」等と呼ばれることもあったが、ソニーを世界企業にした最大の功労者の一人であったことはまぎれもない。

いろいろなことが思い出される。

ケーブル王やメディア王といわれたTCIのJohn Malone会長が来た時のミーティングは圧巻だった。当時の世界の頂点同士が対座する光景は凄い迫力で、威風堂々とした大賀さんはMaloneと向き合っても一切見劣りすることなく、そのような歴史的瞬間に立ち会っていることに、まだ若かった自分は大いに興奮したものだ。

VODシステムでマイクロソフトと提携しようと奮闘していた時には、尻込みする他の役員連中の反対に困っていた中で、最後は大賀さんがGo signを出してくれた。

VAIOをスタートした頃、もともとPCビジネスに反対していたこともあって、VAIOチームへは風当たりが強かった。今から思えば、水平分業が先々の家電産業の構造を塗り替えることを直感的に察知して危機意識を感じていたのかもしれない。

拙著にも記した、病室でお会いした時のパジャマ姿の光景は今でもありありと思い出す。自分の命よりもソニーのことを心配されていたお姿は心を打った。

その後、回復されてからしばらくして、私が退社を決意し、最後のご挨拶に伺った時には、涙を流して別れを惜しんで下さった。その時に一緒に撮った写真といただいたメッセージは自分の宝物の一つだ。

何度も生命の危機を乗り越えて、まるで不死鳥のようにその都度カムバックされた大賀さんであったが、その「ソニー」を作り上げた最後の大物も、遂に旅立たれた。一つの時代の終わりを惜しむと共に、大賀さんのご冥福を心からお祈り申し上げる。

2011年4月18日月曜日

この国の司法は機能しているか?

被災地復興支援の遅れや、原発災害の長期化に、連日の余震も加わり、重苦しい状況が続く中、まったく別件で、先週見逃せない報道が二件あった。二件とも司法に関するものだ。一件は、大阪地裁の証拠捏造事件に関する一審判決。もう一件は、2007年の名古屋市千種区で発生した殺人事件に関するものだ。

「大阪地裁「刑事司法の根幹破壊」 元主任検事に実刑」

「闇サイト殺人の堀被告、死刑破棄し無期 名古屋高裁判決」

前者は、言うまでもなく、日本の刑事司法全体の根幹を揺るがす大事件で、検察に対する国民の大きな不信を招いた。今回の判決では、証拠捏造を隠蔽したとしてやはり起訴された上司二人の関与には触れていない。特捜部や検察の捜査のあり方や、検察の組織的関与も含めた一連の事件の背景解明は、今秋以降の公判に持ち越される形となった。今後、決してトカゲの尻尾切りに終わることなく、徹底的な真相究明がなされて行くことを見届けたい。

後者は、勤め先から帰宅途中だった会社員の磯谷利恵さんが、「誰でもよかった」と被害者を物色中だった見ず知らずの連中に路上で拉致され、車の中で残忍な方法で殺害された事件だ。犯人の男達はネットの闇サイトで知り合ったとされた。

名古屋高裁は、共犯の三人の被告の一人に対して、一審で下された死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡したそうだ。他の一人については、自首を理由に無期懲役とした一審判決をそのまま支持した。裁判長によると、判決理由は、「犯行の計画は綿密ではなく、矯正可能性もある」というものだそうだ。また、一審で死刑が確定したもう一人の被告と比較し、「二被告の役割を同等とすることは出来ず、被害者が一人であることを考えると、被告を死刑とするにはためらいがある」とした。さらには、一審判決では、面識のない者同士がインターネットを通じて知り合い、凶悪犯罪を実行した犯行形態について「模倣される恐れがあり、社会の安全に与える影響も大きい」とも指摘したが、高裁では、「他の事件に比べて模倣性が高いとは一概にはいえず、(事件の特殊性を)過度に強調すべきではない」と述べたそうだ。これらの高裁の裁判長の一連のコメントが報道の通りだとすると、正直唖然とする思いだ。

「犯行の計画は綿密ではなく、矯正可能性もある」とは一体なにか?犯行には十分な計画性もあり、まったく何の落ち度もない見ず知らずの女性を三人で共謀して襲い殺害した連中の矯正可能性とはなんだろうか?

「二被告の役割を同等とすることは出来ず、被害者が一人であることを考えると、被告を死刑とするにはためらいがある」とは、いったいいかなるためらいなのか?永山基準に立ち戻り、被害者は四人いないと死刑判決には抵抗があるということなのか?運悪く3人の悪鬼が待ち受ける車の横を通り掛かっただけで突然強引に奪われた人の命はそんなにも軽いものなのか?

「他の事件に比べて模倣性が高いとは一概にはいえず、(事件の特殊性を)過度に強調すべきではない」に至っては、とてもまともなコメントとは思えない。この事件は極めて特殊で異常な事件であり、それをいくら糾弾してもし過ぎるものではなく、似たような事件の再発を防ぐ上でもあらゆる手立てを講じるべきではないか。

たまたま運悪くその場を通りかかっただけで、無残に命を奪われた被害者の女性がただただ不憫でならない。そして、とても母親思いだったというその娘と二人で暮らしていたという母親が気の毒でならない。

今回の震災に際しては、この国の安全の根幹を支える仕組みが機能不全にあることを嫌というほど思い知らされているが、これらの判決については、この国の司法制度がはたして健全に機能しているのか、やはり機能不全に陥っているのかを知る材料としても、今後の推移を注視して行きたいと思う。

2011年4月13日水曜日

エル・ムンド

先日のNHK BS1の「地球テレビ エル・ムンド」の放送終了後、出演者の皆さんとのカットです。MCのアンディ―・ポンピリオさんはじめ、皆さん、とても感じがよく、オシャレで楽しい番組でした。

http://www.nhk.or.jp/elmundo/prg/110411.html

2011年4月9日土曜日

桜満開

先日まで蕾だった自宅前の桜もついに満開。今年も変わらず美しく開花した桜にとても元気付けられる思いがする。