2011年11月11日金曜日

アップルの新社屋構想

160万以上のPVがあるので、見ている人も多いと思うが、Steve JobsがCupertino(Appleの地元)に本社社屋を新設するプランを市議会に説明しているビデオ。少々、しんどそうではあるが、6月の時点ではまだこんなに元気だった。。。周知の通り、いかにもJobsらしいユニークな構想だ。地元を愛し、地元との繋がりを大切にしている姿勢も垣間見える。昔のHPとのエピソードなども面白い。市の税収においてもAppleの存在は大きく、市議達も気を使っている。2015年に完成すると言っているが、彼が亡くなってもこの計画は予定通りに実行されるのだろうか?

2011年11月9日水曜日

六本木ヒルズけやき坂通りのクリスマスイルミネーション

今年もイルミネーションの時期が来ましたね。年の瀬を感じます。大変な年でした。飾り付けはヒルズの方がミッドタウンより早いのですね。今年も後二ヶ月を切りました。

2011年11月7日月曜日

日本がガラパゴスに留まる歴史的背景

10月31日の投稿「日本再発見」の補足です。

先日、京都に出掛けた折に、清水三年坂美術館を拝観して来た。こちらは、村田製作所の創業家の村田理如(まさゆき)氏が10年ほど前に創設された美術館で、同氏が集めた幕末から明治初期にかけての日本の美術工芸品が展示してある。ホームページの記述には以下のように書いてある。


「集めるうちに気がついたことは、幕末・明治の美術品の名品はほとんどが海外に流出していて、日本国内には残っていないし、それらを本格的に展示している美術館も国内には存在していないということでした。特に金工(金属工芸)、七宝、印籠、根付等はひどい状態だということが分かってきました。これらの名品が、日本で市場に出れば、海外の業者の手に渡り、たちまち欧米に流出してしまいます。こういう事が、明治以降延々と続いてきた為に日本からほとんど姿を消して しまったのです。だから一般の人が明治の美術品の名品を見る機会はほとんどないといっていいかと思います。

明治以降、日本は急速に欧米の文化を取り入れ、生活スタイルも欧米化しました。学校教育も、美術や音楽は欧米のものが中心でした。日本人の美術に対する関心も、日本の伝統的なものより印象派の絵画や西洋骨董などに集まり、幕末・明治の美術品に関心を持つ人がほとんどいなくなってしまったのです。又、たとえ関心があっても欧米人ほど高く評価しない為、高額な名品は海外に流出していくのです。その結果、日本にはガラクタばかり残り、ますます明治の美術館に対する評価 も下がってしまったのです。

一方、海外で一番人気のある日本美術は何かというと、それは幕末・明治の美術品です。欧米の美術館でも日本美術といえば、幕末・明治の展示が大半ですし、ニューヨークやロンドンの日本美術のオークションでも陶磁器、浮世絵と明治美術が中心で、明治美術の人気が高いのは日本と対照的です。」(以上、同館ホームページからの引用)

この記述を読んで、同種の傾向は何も美術工芸品に留まらず、現代に至るまでさまざまな分野で継続しているのではないかと感じた。たとえば、コンテンツの分野でも、日本原作のホラー映画のリメイクがひと頃ハリウッドで流行っていたが、これなども原作が安値で取引されて、リメイク版が世界的にヒットしても版元には一銭も戻らないような形態の取引がなされていたように聞いている。すなわち、日本人は自分達が生み出したものの凄さを認識できないまま、おいしいところを海外勢に持っていかれてしまう、という傾向があるのではないかと感じる。これが、謙譲の美徳故なのか、お人好しで無欲のせいなのか、あるいは逆に手元の小金に目が眩むせいなのか、真の原因はよくわからないが、いずれにしろ、本来、グローバルにスケールさせて大きなビジネスに出来る素材をたくさん持ち合わせていながら、そのチャンスをみすみす逃してしまうようなことを歴史的に繰り返して来ている点が実際にあるように思う。

これからは、自分達が生み出したのものの価値をグローバルな視野できちんと認識する「目利き」と、それを他人の手ではなく、当人である自分達の手でグローバルマーケットに訴求して外貨を稼ぐ「商魂」が改めて求められているのは間違いない。

2011年11月2日水曜日

Tokyo Midtown Design Touch

弊社オフィスの目の前の東京ミッドタウンで、デザインイベント開催してます。人工の小川の中にアートが。。。

2011年10月31日月曜日

日本再発見

ソニー、グーグルと、ずっと日本の外に目が向いた人生を送って来ましたが、「Made in Japan、Made by Japaneseを世界へ」というコンセプトでALEXCIOUSというサイトを作ってから、日本全国を飛び回り、日々、あらためて自分の祖国日本を再発見するような毎日を送っています。

私の仮説は、

① 日本には世界に通用する優れた作り手は沢山いる(職人、匠、クリエイター、デザイナー、アニメーター、エンジニア、、、) ② しかし、一方で、グローバルにビジネスを演出できるプロデューサーが極端に少ない ③ 結果的に、①の優れたタレントや、アウトプットが、世界の人の目に触れることなく、国内のどこかで人知れず全国区にすらならずに埋もれている ④ したがって、ロングテールに埋もれている逸材(人、モノ、サービス、etc.)を掘り起こして、②の部分と組み合わせれば、昨日まで国内でローカルでニッチだったものが、いきなり世界デビュー、メジャーデビューを果たせるかもしれない、今は、そういうことがインターネットやクラウドの力をフル活用することによって可能

というもので、この仮説を証明して行く場としてALEXCIOUSを作りました。日本人は歴史的に自分達が生み出したものの価値を過小評価する傾向があり、逆に海外の人の方がその価値に先に気が付いて上手に事業化してしまったりします。

20世紀の経済モデルがさまざまな形で破綻し始めていますが、我々日本人が自らの手で、日本の優れた点を再認識して、クラウドなどの先端テクノロジーを使いながら21世紀の新しい経済モデルを生み出し、外貨を稼ぐ取り組みをやって行かねばならないと決意しています。

2011年10月11日火曜日

Goodbye, Steve Jobs

少しタイミングが遅くなったが、Steve Jobsへの追悼文です。

アップルを退任した時に、いよいよかな、と覚悟はあったが、やはりあっという間だった。大勢の人達が追悼のメッセージを発信しているけれども、私も小文を付け加えたい。

Steveとは、直接、間接にさまざまな接点があった。正確には覚えていないが、2003年か、2004年、まだソニーに居た頃に、彼の自宅を訪ねたこともある。直接対面したのは、結局その時が最後。豪邸が建ち並ぶPalo Altoの中では、特に豪勢でもないごくごく普通の家だった。奥さんや子供達に優しく接する彼の夫であり父親の面も垣間見た。

もともと、彼は盛田昭夫さんと仲がよく、また盛田さんのことを心の底から尊敬していた。アップルの目標はソニーだ、と公言していた時期もあった。iPodを作った時にソニーや盛田さんに敬意を表して、「21世紀のウォークマン」と表現したこともあった。

以下は彼が如何に盛田さんを慕ってたかということを物語るYouTubeで見つけたビデオ。冒頭の部分だ。会場で素人の方が撮っているものと思われるので映像や音は悪いが、盛田さんが亡くなった直後のアップルの新製品発表の会場の様子だ。


今やその彼もいなくなってしまった。

むかしソニーは「モルモット」と呼ばれていた。誰もやらないことにチャレンジし続けるスピリットを表現したものだ。まさに "stay hungry stay foolish"の精神。

天国で再会しているとすれば、二人は何を語り合っているのだろうか。。。

2011年9月19日月曜日

神子原村

過疎化が進み、65歳以上の高齢者が人口の50%以上を占め、そのまま放置しておくと消滅してしまう可能性の高い集落を限界集落という。2006年の国土交通省の調査によると、全国で限界集落は2643あり、1999年の調査と比べると284増加しているそうだ。

石川県羽咋市の神子原村(みこはらむら)もそんな限界集落の一つであった。 その集落の立て直しを年間予算わずか¥60万余りで託された高野さんという公務員の奮戦記をANAの機内ビデオで見た。フジテレビの報道2001の特集が元番組になっていたようだ。高野さんの奮戦記はあらゆるビジネスマンにとって大いに参考になるものだと感じたので、少し紹介しておく。

高野さんは、その仕事を受けるにあたって、一つだけ市長に条件を出した。一切の稟議を廃し、自分自身の決断で進めさせて欲しい、ということである。何事も稟議で決めるのが習わしの行政のしきたりを無視する非常識な要求だが、市長がその条件を受け入れることによって、高野さんの奮闘が始まることになる。

高野さんは、まず、村の若返りを図るために、村への移住者を募集した。空家になっている農家を移住希望者に安く貸し出すのだが、彼の戦略は、お願いして村に来てもらうのではなくて、非常に高飛車なスタイルを取ったそうだ。「来たければ、どうぞ、ただし、村民が面接試験を行うのでそれに合格した場合にのみ移住を受け入れる」、というプログラムを考案、実行した。結果的に応募者が殺到し、村民の厳しい面接をパスして移植した人達の定住率は100%となったそうだ。

次に、一世帯当たり年間¥80万そこそこの年収しかなくて経済的にやっていけない状態になっていたのを、地元米のブランディングによって復活させた。従来、この地では山からのきれいな水で高品質なコシヒカリを生産していたそうだが、生産したコメは総量をJAに買い取ってもらっていた。彼は、この地の米はもっとずっと価値があり高く売れるはずだと考えて、JAに納めることを止めて村民の手でブランディングし、直接売って行くことを提案した。しかしながら、村民からは猛反対にあい、そんなことが出来るものなら自分でやってみろ、と言われる。結果的に、彼は「神子原村」という地名にあやかり(the hilands where the son of God dwells)ローマ法王に直接「神子原米」を食べてみてもらえないか、と手紙を書く。無しのつぶてであきらめかけていた頃、突然バチカン大使館から電話があり、人口800のバチカン市と人口500の神子原村で親善の絆を結ぼう、ということで、神子原米をローマ法王に献上することなった。この話が大きく報道されて、「神子原米」はローマ法王に献上された米として一躍有名ブランドとなり高値であっという間に売り切れてしまう今では「幻の米」とも言われる銘柄になったという。

次に、高野さんはこの「神子原米」で日本酒を作り、やはり世界ブランドにすることを考えた。世界中で受け入れられる酒としてはやはりワインということで、ワイン酵母で日本酒を創る、という独創的なチャレンジを行い、これも見事に大ヒットして、「ワインのような日本酒」として今ではアラン・デュカスでも数量限定で供されるトップクラスの高級銘柄になったとか。

現在、これも高野さんの働き掛けで、村に株式会社を作り、上記ブランド米やブランド酒の販売を法人として手掛けるようになり、村は活気を取り戻して限界集落から見事に抜け出したそうだ。

高野さんの素晴らしいところは、①補助金やJA依存を断ち切って、村の自主再建を目指したこと、②最初からブランディングの着想がグローバルであること、そして、③私利私欲ではなくて、一公務員として、無心で村の再建に身を呈したこと(無功徳)、など、数限りないが、最後にはそんな高野さんの熱意が、村民の共感とやる気をはぐくみ、滅びゆく村を自ら救う奇跡を実現したのだ。

こういう話に触れると、不可能なんかない、何事も成せばなるものだ、ということを改めて感じ、非常に勇気づけられる。


2011年8月22日月曜日

母の命日

こちらの個人ブログの更新を長く怠ってしまいました。気楽な内容で短くてもいいから、もっとまめにメンテしなければならないな、とわかっていながら多忙にかまけてしまいました。。。
\(_ _)

今日は母の祥月命日なので、供養の為にも一言書いておきます。

母は、私が36歳の時に亡くなりましたので、もう17回忌も終わっていて、随分と長い時間が経ってしまいました。しかしながら、どんなに時間が経っても、亡くなった日の記憶は薄れることがなく、また、母親の愛情や教えというのは心や身体にずっと残っているもので、いまだにいろいろな場面での母の言葉や姿をありありと思い出します。

私は小さい頃から、正義感が強過ぎて、過激な発言や行動をすることがあり、母はそれをよく心配していました。 また、衝動的に行動することも多く、そのたびにたしなめられていました。

周囲の人への心配りが実に細やかな人で、その為に多くの人に慕われていましたが、自分自身のことはいつも後回しで、見えないところでは相当に疲れていたのではないかとも思います。「親孝行したい時には親はなし」 、と言いますが、結局、何の恩返しもできなかったように思えて後悔ばかりです。

母親が生きていたら、今の自分の生き方を見て、何というだろうか?たまにそんなことが気になります。きっと、まだまだ危なっかしくてハラハラしながら見ているのではないだろうか、、、そんな風にも思います。

早くあの世の母親を安心させらるような生き方をしたいものです。

合掌。

2011年5月31日火曜日

電子書籍

拙著の電子書籍版が5月27日に出てました(笑)。

http://www.shincho-live.jp/ebook/result_detail.php?code=E000431

大震災を経て、新しい日本を作っていかねばならない今、あらためてこの本に込めたメッセージを多くの方々と共有したい、と思っております。

2011年5月5日木曜日

高校生来訪

4月29日のエントリーで述べた高校生のうちの一人が、実際に上京して3日(火)に会社に遊びに来てくれた。高校生がオフィスに訪ねて来たのは「うめけん」に続いて二人目だ。

名前は岩沢壮太君という。この4月から、島根県の離島、隠岐の島町の高校に通うまだ15歳の高校一年生だった。恐るべき行動力。曰く、目覚めたのは中学生の時にNPOの呼び掛けに応じて行ったカンボジア訪問だったそうだ。カンボジアのstreet children達との交流で、極貧の彼等の方がよっぽど逞しくみえて、恵まれた国に育った自分の奢りと勘違いを思い知らされたそうだ。詳しくは以下の彼のブログにある。

http://ameblo.jp/soutarrr7/

Twitterアカウントは以下。

http://twitter.com/soutarrr7

彼の人生のテーマは、「この世から貧困をなくす」、ということだそうだ。 そしてそれを政治やNPOを通じてではなく、自ら経済活動に関わることによって成し遂げて行くことを人生の目標としたい、ということだった。

このような若者が、起業のレベルをはるかに超えて、新たなグローバル産業を興すようなスケールや目線でこれからの人生を歩んで行くことを切に願うと共に、末永く応援して行きたいと思った。親と子以上に歳の離れた若者とのひと時の交流であったが、こちらも新鮮な空気を吸ったような爽やかな気分になった。

2011年4月30日土曜日

新緑

桜の時期もあっという間に終わり、綺麗な新緑の時期。一年で一番爽やかで気持ちのいい季節だ。

2011年4月29日金曜日

二人の高校生からのアプローチ


最近、会社宛てに二人の高校生から連絡をもらった。

一人は長野県に住んでいる高校一年生で、拙著に共感した、ということで手紙をくれた。まさか、高校一年生が私の本を読んで手紙をくれるなどということはまったく想定していなかったが、NPO的な活動にも主体的に関わっている積極的な少年のようだ。

もう一人は島根県に住んでいる高校生で、会社の人材募集の掲示に対して、「高校生でも雇う気はありますか?」と挑戦的な文面で問い合わせて来た後に、手書きのビジネス提案を送ってくれた。彼からはこの5月連休中に無理して上京してくるので会って欲しい、と再度連絡が来た。お土産にまた別のビジネス提案を持ってきてくれるそうだ。

「うめけん」も一度オフィスに遊びに来てくれたが、こういう元気のいい若者達からアプローチされると、日本の未来がとても明るく思えてくる。日本の将来を悲観する必要などどこにもないのだ。

2011年4月24日日曜日

大賀さんを偲ぶ

大賀典雄さんが亡くなった。

大賀さんとの初対面は、入社して間もない頃のある週末、北の丸公園の科学技術館で行われていた展示会に行った時に、大賀さんが何人かの取り巻きの人達とその展示会を閲覧しているところに偶然ばったり出くわしたのが最初だった。自分が入社した会社の社長が目の前に居るのに挨拶しない手はないと思い、思い切って、大賀さん達の一団の前に厚かましく進み出て行き、「ソニーの情報処理研究所に勤務している辻野と申します。」と挨拶をして握手を求めた。大賀さんは「あぁ、そう。頑張りなさい」と握手に応じてくれた。

独特の存在感とオーラのある人だった。いつも威風堂々としていて、 「自信満々居士」等と呼ばれることもあったが、ソニーを世界企業にした最大の功労者の一人であったことはまぎれもない。

いろいろなことが思い出される。

ケーブル王やメディア王といわれたTCIのJohn Malone会長が来た時のミーティングは圧巻だった。当時の世界の頂点同士が対座する光景は凄い迫力で、威風堂々とした大賀さんはMaloneと向き合っても一切見劣りすることなく、そのような歴史的瞬間に立ち会っていることに、まだ若かった自分は大いに興奮したものだ。

VODシステムでマイクロソフトと提携しようと奮闘していた時には、尻込みする他の役員連中の反対に困っていた中で、最後は大賀さんがGo signを出してくれた。

VAIOをスタートした頃、もともとPCビジネスに反対していたこともあって、VAIOチームへは風当たりが強かった。今から思えば、水平分業が先々の家電産業の構造を塗り替えることを直感的に察知して危機意識を感じていたのかもしれない。

拙著にも記した、病室でお会いした時のパジャマ姿の光景は今でもありありと思い出す。自分の命よりもソニーのことを心配されていたお姿は心を打った。

その後、回復されてからしばらくして、私が退社を決意し、最後のご挨拶に伺った時には、涙を流して別れを惜しんで下さった。その時に一緒に撮った写真といただいたメッセージは自分の宝物の一つだ。

何度も生命の危機を乗り越えて、まるで不死鳥のようにその都度カムバックされた大賀さんであったが、その「ソニー」を作り上げた最後の大物も、遂に旅立たれた。一つの時代の終わりを惜しむと共に、大賀さんのご冥福を心からお祈り申し上げる。

2011年4月18日月曜日

この国の司法は機能しているか?

被災地復興支援の遅れや、原発災害の長期化に、連日の余震も加わり、重苦しい状況が続く中、まったく別件で、先週見逃せない報道が二件あった。二件とも司法に関するものだ。一件は、大阪地裁の証拠捏造事件に関する一審判決。もう一件は、2007年の名古屋市千種区で発生した殺人事件に関するものだ。

「大阪地裁「刑事司法の根幹破壊」 元主任検事に実刑」

「闇サイト殺人の堀被告、死刑破棄し無期 名古屋高裁判決」

前者は、言うまでもなく、日本の刑事司法全体の根幹を揺るがす大事件で、検察に対する国民の大きな不信を招いた。今回の判決では、証拠捏造を隠蔽したとしてやはり起訴された上司二人の関与には触れていない。特捜部や検察の捜査のあり方や、検察の組織的関与も含めた一連の事件の背景解明は、今秋以降の公判に持ち越される形となった。今後、決してトカゲの尻尾切りに終わることなく、徹底的な真相究明がなされて行くことを見届けたい。

後者は、勤め先から帰宅途中だった会社員の磯谷利恵さんが、「誰でもよかった」と被害者を物色中だった見ず知らずの連中に路上で拉致され、車の中で残忍な方法で殺害された事件だ。犯人の男達はネットの闇サイトで知り合ったとされた。

名古屋高裁は、共犯の三人の被告の一人に対して、一審で下された死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡したそうだ。他の一人については、自首を理由に無期懲役とした一審判決をそのまま支持した。裁判長によると、判決理由は、「犯行の計画は綿密ではなく、矯正可能性もある」というものだそうだ。また、一審で死刑が確定したもう一人の被告と比較し、「二被告の役割を同等とすることは出来ず、被害者が一人であることを考えると、被告を死刑とするにはためらいがある」とした。さらには、一審判決では、面識のない者同士がインターネットを通じて知り合い、凶悪犯罪を実行した犯行形態について「模倣される恐れがあり、社会の安全に与える影響も大きい」とも指摘したが、高裁では、「他の事件に比べて模倣性が高いとは一概にはいえず、(事件の特殊性を)過度に強調すべきではない」と述べたそうだ。これらの高裁の裁判長の一連のコメントが報道の通りだとすると、正直唖然とする思いだ。

「犯行の計画は綿密ではなく、矯正可能性もある」とは一体なにか?犯行には十分な計画性もあり、まったく何の落ち度もない見ず知らずの女性を三人で共謀して襲い殺害した連中の矯正可能性とはなんだろうか?

「二被告の役割を同等とすることは出来ず、被害者が一人であることを考えると、被告を死刑とするにはためらいがある」とは、いったいいかなるためらいなのか?永山基準に立ち戻り、被害者は四人いないと死刑判決には抵抗があるということなのか?運悪く3人の悪鬼が待ち受ける車の横を通り掛かっただけで突然強引に奪われた人の命はそんなにも軽いものなのか?

「他の事件に比べて模倣性が高いとは一概にはいえず、(事件の特殊性を)過度に強調すべきではない」に至っては、とてもまともなコメントとは思えない。この事件は極めて特殊で異常な事件であり、それをいくら糾弾してもし過ぎるものではなく、似たような事件の再発を防ぐ上でもあらゆる手立てを講じるべきではないか。

たまたま運悪くその場を通りかかっただけで、無残に命を奪われた被害者の女性がただただ不憫でならない。そして、とても母親思いだったというその娘と二人で暮らしていたという母親が気の毒でならない。

今回の震災に際しては、この国の安全の根幹を支える仕組みが機能不全にあることを嫌というほど思い知らされているが、これらの判決については、この国の司法制度がはたして健全に機能しているのか、やはり機能不全に陥っているのかを知る材料としても、今後の推移を注視して行きたいと思う。

2011年4月13日水曜日

エル・ムンド

先日のNHK BS1の「地球テレビ エル・ムンド」の放送終了後、出演者の皆さんとのカットです。MCのアンディ―・ポンピリオさんはじめ、皆さん、とても感じがよく、オシャレで楽しい番組でした。

http://www.nhk.or.jp/elmundo/prg/110411.html

2011年4月9日土曜日

桜満開

先日まで蕾だった自宅前の桜もついに満開。今年も変わらず美しく開花した桜にとても元気付けられる思いがする。


2011年3月27日日曜日

原発の行方

ニコニコ生放送やUstreamで流され続けている東電や保安院の会見を見るにつけ、本当に、この人達は一体何なんだろう、という思いが強くなる一方である。欠落した当事者意識、退化した危機管理能力、徹底的な隠蔽体質、情報収集能力の拙劣さ、コミュニケーション能力の低さ、、、いくら繰り返して話を聞いていても、ちっとも正確な状況が伝わってこない。この人達はただの素人集団で、彼等にも、今現在起きていることの危機レベル、今後の見通し、対策方法等、一切が何も分かっていないのだろうと思う。見ていて、逆に気の毒で、痛々しくなる。

一方で、事故現場には、ありとあらゆる専門家がちゃんと投入されて危機回避に関するあらゆる英知が結集出来ているのであろうか?作業員の被爆管理の杜撰な実態等が伝わってくると、現場もそのような状況ではなさそうなのでとにかく不安は高まる一方である。米軍やIAEAの専門家も集まっている様子なのに、実質的には、一体誰のリーダーシップで、かつどのような布陣で具体的な問題解決に当たっているのかが一向に明らかにならないのは、何故なのであろうか?

話は変わるが、いろいろと調べている中で、 環境エネルギー政策研究所の飯田哲也さんという人の存在を知った。

http://www.isep.or.jp/about_message.html

http://twitter.com/iidatetsunari 

面識はないが、もともとは京都大学で原子核工学を専攻した人のようである。放射能汚染とその処理の困難さを経験し、電力業界の密室性や官公庁との癒着などに嫌気がさして原発反対派になった人のようだ。そういう人が、「化石燃料や原子力に依存する経済社会がもたらした環境破壊の解決の道は、小規模、分散型で持続可能な自然エネルギーの拡大しかない」、と主張し幅広く活躍している様子なのは頼もしい。

3月22日の本ブログでも述べたが、今回の一件で、日本は国家としてのエネルギー政策を抜本的に転換させねばならない。今は福島第一原発危機の早期回避をただただ願うばかりであるが、問題が収束した後も、この国の原発脱皮に向けたさまざまな活動を積極的に支持して行きたいと強く思う。

2011年3月26日土曜日

桜のつぼみ

日本を未曽有の大地震と大津波が襲ってから2週間が経った。未だ、被災地への支援は滞り、福島第一原発の危機的状況も続く。水や野菜への放射能汚染への不安が拡がり、長期的な電力供給の見通しも立たず、経済への影響も懸念される。しかし、桜が咲き誇る春はすぐそこまで近付いている。桜のつぼみのひとつひとつにも救われる思いがする。

2011年3月22日火曜日

大災害が意味するもの

このたびの東北地方太平洋沖地震で犠牲になられた大勢の皆様のご冥福を心からお祈りするとともに、被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

11日(金)の14:46に地震が起きた時、 私は外での打ち合わせを終えて帰社する途中で、地下鉄千代田線の赤坂駅と乃木坂駅の間にいた。電車が急停車すると同時に大きな揺れが襲ってきた。地下での揺れは恐ろしく大きく感じ、長い揺れが激しさを増してくると、車掌のアナウンスも緊迫してきて、電車が脱線してトンネルが崩れるのではないかと、一瞬覚悟を決めるほどだった。少し以前に、仲間と大江戸線に乗る時に、「地下鉄に乗ってる時には地震にだけは遭いたくないものだな」と冗談で話したのが思い出された。

揺れは続き、地上の家族や仲間のことが心配でたまらなかったが、揺れが収まって地下鉄が駅に向けて再度動き出すまではなすすべもなく地底に閉じ込められて身動きが取れなかった。ようやく地下鉄がそれぞれの最寄り駅までの徐行運転を開始して、乃木坂駅に到着し、携帯の電波のアンテナが立った瞬間に家族や仲間に電話をしたが、既にまったく繋がらなかった。地上ではビル等が倒壊しているのではないかと、はやる気持ちを抑えて地上に出てみると、大勢の人達が外に溢れてはいたものの、見回した範囲では地上の被害は見当たらず、少しホッとした。しかし、その直後、オフィスに戻った後で、東北地方の恐るべき惨状を報道で目の当たりにすることになった(写真は毎日新聞社が配信したもの)。

その後の福島第一原発の損傷による放射能漏れの問題と併せて考えると、今回の未曾有の大災害は今の日本に少なくとも以下のいくつかの問題を一度に突き付けた。
  1. 地震・津波災害に対する備えの問題(津波被害が想定される地域の土地利用上の法整備や港湾構築の問題)
  2. 携帯電話などの通信網の緊急時における脆弱性
  3. 原発への依存度(約30%)を高めてきた国家のエネルギー政策
  4. 地域を超えた電力供給の融通性の問題
  5. 原子力災害発生時の指揮命令系統の明確性や情報開示の透明性
  6. 被災者支援(食糧、医療、エネルギー、避難所、etc.)体制の脆弱性 
一つ一つが重たいテーマではあるが、今後、次の災害が起きるまでにこれらのすべてをスピーディーに解決して行かなければならない。

原子力利用に関しては、これから日々議論が深まっていくと思うが、今回の危機によって従来の原発安全神話は完全に崩壊した。もはや、国民は原発の危険性について、完全に目覚めたと言っていいであろう。私見としては、日本のような地震国において原発を乱造することが危険きわまりないことがもはや身に染みた以上、時間は掛かっても電力供給の原発依存率をゼロにしていくことをただちに決意し、代替となるエネルギー政策への方針転換が急務と考える。長期的には、原油依存の体質からも脱却を目指さねばならないことを考えると、やはり水力、風力、太陽光、地熱、マグマ、潮力、波力、振動など、無害で自然のエネルギーを活用したエネルギー政策を打ち立てて、そのための実用化技術の開発に投資して行くしか道はないと思われる。

世界で唯一の被爆国として悲惨な体験をし、核保有に根強く反対してきた国が、一方で原子力に依存したエネルギー政策を進めてきたこと自体が大きな矛盾であったとも言える。そもそも、原子力というのは神様が定めた「パンドラの箱」の一種なのではないかとすら思う。猛毒の放射性物質は人間が下手に手を出すべきものではないのだ。

話は変わるが、シリコンバレーにいる米国の友人がくれたメッセージの中に以下のようなくだりがあった。彼らしい楽観主義にもとづいた意見だが、私もその通りだと思う。これだけの大きな代償を払った以上、この災害で学んだあまたの教訓を確実に生かした新しい国造りがあらゆる面でこれからの我々に求められている。絶対にここから立ち上がって、あらためて強い国を作って行くことに貢献しなければならないと固く決意している。

"In a strange way, and I am a total optimist, this crisis is exactly what Japan needed to wake it up from its sleep. I believe that Japan will be energize by this and will come back infinitely stronger. I think this will stop the long term recession and a lot of young Japanese people will feel their mortality and fight harder."

2011年3月6日日曜日

あたりまえのことを真剣にやるということ

せっかく目の前にビジネスチャンスがあっても、真剣じゃなかったり、怠惰だったりで、そのチャンスを逸しているケースが世の中には山ほどある。

世の中、推して知るべし、と感じているのは、斜陽が取り沙汰されている業界は、結局、工夫も、真剣さもない人達が集まって、「我々の業界は危機的な状況」とか言ってるのだろう、ということだ。まさにお笑いで、逆に言えば、そういう業界にはまだまだ大きな成長の余地がある。 
 
チャンスを活かす、ということに真剣な人達が集まれば何だって成功させられる。「業界の危機」、というのは、詰まる所、単にその業界の人達が怠けているだけ、という次元の低い問題なのだと思っている。インターネットのせいでも、グローバライゼーションのせいでも、ましてやグーグルのせいでもない。

ビジネスなんか、ごくごく基本中の基本を本当に真剣にやるか、やらないか、というだけの話だ。やった人は勝って、やらない人は負ける。
 
ただ、それだけのことが、多くの業界で起きていることだと思う。

2011年2月27日日曜日

春近し

今日は東京マラソンの日。自分が出場した第一回目は、もう4年も前のことになるとは、時間が経つのは早い。近所に折り返し点があるので、見学がてら散策していたら、満開の梅に出会った。春は近い。

Tesla Roadster

遅ればせながら、テスラに試乗してみた。残念ながら運転はさせてもらえないので助手席だが、急加速時にはジェットコースターにでも乗ったような感覚で、まったく新しい体験だった。やはりガソリン車とは別物だ。バッテリーが小さくなって値段が下がれば十分に普及するレベルの完成度だと思う。車の世代交代が確実に始まっていることを実感した。



    展示車(上)と試乗車(下)

2011年2月14日月曜日

宇宙から見た地球

前回の投稿で思い出したのだが、昔、何とか宇宙から見た地球の感覚を味わいたくて、部屋を真っ暗にして、地球儀をライトアップして遠くから眺めたことがある。やっぱりちょっと変だったのかもしれない。。。

2011年2月12日土曜日

モルモットとガラパゴス

前回のエントリーで、昔のソニーのモルモット精神について書いたが、よく言われる日本のガラパゴス化現象というものが「モルモット現象」と言えるものであるのならば大いに奨励されていい。人のやらないことを真っ先にやった結果、常に時代の最先端を走り、その後、世界が少し遅れてそれを追い掛ける、という図式を作れればいいのだ。すなわち①モルモット → ②ガラパゴス → ③世界標準という図式だ。

ちなみに、先日、テレビの番組で御一緒した竹中平蔵氏によると、Galapagos Syndromeという言葉は日本以外では全く認知されていないそうだ(笑)。モルモット(marmot)という言葉も、最近では日本でも使われないが、海外でもまず通用しない。。。

今はネットの時代かつインフラが整って個人レベルにも無限のコンピューティングパワーが安く提供されている時代と考えれば、必ずしも大きな組織に属していなくても、思いついたことを迅速に実行に移し易い時代でもあり、モルモット精神を発揮して新しいことにチャレンジし易い時代であることは前回も述べた通りだ。後は、②から③への遷移を起こして行けばいいのだが、その為には、いつも世界を見渡すような視座を持ち、海外の人達との日常的な交流が欠かせないだろう。

話はやや変わるが、昔読んだ、立花隆氏の、「宇宙からの帰還」によると、宇宙から地球を眺めた経験をした宇宙飛行士は、before/afterで例外なく世界観ががらりと変わるらしい。それも、やっと大気圏を抜けた程度の高度から地球を見た宇宙飛行士よりも、月などはるか彼方から地球全体を俯瞰した経験のある宇宙飛行士の方が世界観の変わり方が激しいというようなことが書いてあったと記憶している。

グーグルに入った時に、グーグルの人達はいつも宇宙のどこかから地球全体を眺めながら仕事をしているような印象を持った。自分達の試みが「世界にスケールするかどうか」ということを常に気にしているのだ。映画「ソーシャル・ネットワーク」でも、ナップスターの創業に関わり、フェイスブックの初代社長となったショーン・パーカーが登場して、マーク・ザッカーバーグに、フェイスブックを世界に大きく飛躍させるきっかけとなる重要な助言を与えるシーンがあり、印象的であった。

日本人の発想や技術が②のレベルに留まることなく、③へと遷移していくためには、言語やコミュニケーション・スキルの問題以前に、まさに宇宙の彼方から地球を俯瞰したようなスケールでの視点や世界観を持つことが一番重要なのではないかと思っている。

2011年1月30日日曜日

モルモットたれ

この写真は、ソニーの創業者の井深さんが叙勲された時に、社員から贈られたたものと言われている。井深さんは、大宅壮一から、「ソニーは東芝のモルモットのようなもの」と揶揄されたことに対し、最初は憤慨したが、やがて以下のように言っている。

「私どもの電子工業では常に新しいことを、どのように製品に結び付けていくかということが、一つの大きな仕事であり、常に変化していくものを追いかけていくというのは、当たり前である。決まった仕事を、決まったようにやるということは、時代遅れと考えなくてはならない。ゼロから出発して、産業と成りうるものが、いくらでも転がっているのだ。これはつまり商品化に対するモルモット精神を上手に生かしていけば、いくらでも新しい仕事ができてくるということだ。」

この井深さんの言葉の中にまさに当時のソニーの真髄があった。

当時から長い時間が経過し、世の中は様変わりしたが、私は、今の時代を以下のように捉えている。
  1. 世の中が混迷状態なのは新しい秩序に遷移する転換期だから。
  2. 転換期には多くの新しい事業創出機会がある。 
  3. GoogleやYouTubeを始めとしたクラウド環境や無限のコンピューティングパワーが人々に安価に開放されている恵まれた時代。これらをグローバルインフラとして積極活用すればグローバルビジネスを容易に立ち上げることが出来る。
  4. アプリケーション、コンテンツ、データ、そしてサービスにフォーカスできる時代になった。 
  5. オールドマーケティングの手法から脱して、 AdWordsなどのオンライン広告や、 FaceBookなどのソーシャルネットワーク、Twitter、Ustreamなどを駆使したフラッシュ・マーケティングを活用すれば、精度が高く迅速なマーケティング活動やセールス活動が可能。
すなわち、ネットの時代こそ、モルモット精神を発揮することによって新たな事業創出機会をいくらでも見つけ出すことが出来るのだ。ネットの時代はやるよりやらないことのリスク(機会損失リスク)の方が高い時代とも言える。あらためてモルモット精神の原点に立ち返りたいと思う。

2011年1月5日水曜日

2011年以降

新年おめでとうございます。昨年創業した新会社も今日から仕事始めです。今年は大切な年になりますので一歩一歩頑張っていこうと思います。ところで、インターネットのbeforeとafterで世の中のスピードが驚くほど変わりましたが、変化は今後も加速する一方だと思いますし、今年もさまざまな新しいことが起きる年になるだろうと思うと非常に楽しみです。ところで、今、その変化を生み出している中核がITリテラシーの高い人達であることに改めて目を向けておきたいと思います。

先日、私の知り合いがTesla Motorsに転職しようとしてメールしたら、5分で返事が来て、1時間後には採用面談のスケジュールが確定した、ということで、そのスピードに感動して連絡をくれました。しかし、考えてみれば、Teslaもシリコンバレー発で、PayPalやeBayやGoogle等、IT系の人達が大勢関わって設立された電気自動車会社ですから、ITスタイルとITスピードで発想し、行動するのはごくごく当たり前とも言えます。これからは、車もガソリン車の時代が終わって電気自動車の時代になるとすれば、それはもはや新しいITデバイスであるとも言えるわけで、Androidを搭載し、クラウドと連携して走る車が登場する時代が来るのもそう遠い話とは思えません。実際、Googleは無人走行の自動車を試験開発したりもしています。

http://jp.techcrunch.com/archives/20101009google-automated-cars/

記事によると、Eric Schmidtは、「車がコンピューターより前に発明されたのは間違いだ。車は自分で走るべきだ。そうに決まっている。」というようなことを述べたようです。

別の例としては、今年もラスベガスでCESが開催されますが、Vizioの発表などは注目に値すると思います。

http://jp.wsj.com/index.php/Business-Companies/Technology/node_166011

私は、これからのテレビやPCやモバイルは、すべて「雲(Cloud)を覗く窓」として再定義していかねばならないということをいろんな場で述べて来ましたが、その考えに非常に近いものをAndroidベースで構想して作り上げて来たのは、従来までの家電大手等ではなくて、Vizioのような新興企業であるわけです。もちろん、TVやPCやモバイルなどの再定義に最初に着手して成功させたのはAppleです。ですから、今後はやはりIT系の人達や新規参入組が中心になって家電やPCの再定義が一気に進むものと思われます。ここでも、Goolgeは「Google TV」としてテレビの再定義を行っていますし、今年、Androidに加えて、予定通りにChrome OSが商品化されれば、Windows PC等の従来デバイスの再定義はさらに加速されて行くでしょう。

上記のような流れの中で、従来の日本の自動車大手、家電大手は、相当頑張らないと、ITの人達が考える新しいコンセプトのハードウェアの下請け製造業に成り下がってしまうと思います。そのためには、やはり相当なスピードで新しいチャレンジを矢継ぎ早に定義して実行していかねばならないと思います。幸い、日本の大企業には累計で200兆円を超えるキャッシュが溜まっていると聞いています。今年は、各企業が、新たな成長戦略を定義して、積極的にリスクマネーを張って行く年にしていかねばならないと思います。